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2009年10月30日: 水村美苗著「日本語が滅びるとき」を読む。 T.G.

 水村美苗著「日本語が滅びるとき−英語の世紀の中で」(筑摩書房)を読む。近頃話題の本らしく、図書館で予約したら2ヶ月も待たされた。この作家のことはまったく知らない。作品も読んだことがなかった。冒頭の第一章、「アイオワの青い空の下で」の中で、12歳の時、父親の仕事の関係でニューヨークに移り住み、以来20年間アメリカ暮らしを続けたと自らを紹介している。その後アメリカ嫌いが嵩じて日本に帰国したが、少女時代は日本から持っていった日本文学全集を読みふけったという。 エール大学でフランス文学を専攻し、その後プリンストン大学で日本文学の教鞭を取っていたそうだから、日本の文壇には数少ない(おそらく彼女以外一人もいない)バイリンガルに違いない。そう言う先入観で読み始めたので、必然今どきはやりの英語教育礼賛論かと誤解した。読み進めると、それとはまったく正反対の日本語、日本文学礼賛の内容と分かって驚いた。

 この著書の最初の半分は“普遍語”、“現地語”、“国語”の定義とその解説に費やされる。歴史や経験やいろいろな寓話をまじえて展開する言語論はいささか冗長で退屈するが、後半の日本語論へ導くイントロとしてはなかなか重みのある内容である。著者によれば、普遍語とは一種の世界語であって、昔のラテン語、漢語、一昔前のフランス語、今日現在の英語を意味し、“人類の叡智を記す書き言葉”だと言う。それに対して“国語”は近代に入って国民国家が成立した後、それまでの土着の“現地語”が国民の共通語、普遍語に昇華したものだという。その代表が日本語だ。江戸時代までの日本語は、現地語としての大和言葉(話し言葉)と、公用語、普遍語としての漢語(書き言葉)が併存していた。維新後の五箇条のご誓文に至るまで、日本の公文書、学術書はすべて漢文で書き記されていた。オランダ語文献の翻訳である新井白石の「解体新書」も、大政奉還後の明治元年、天皇から各国代表に示された通告書も漢文で書かれていた。明治維新後、あまたの人々の血の滲むような努力により、現地語である“漢字仮名交じり文の日本語”が国民の共通語になり、学校教育で国語として教えられるようになった。以来ほとんどすべての分野の教育がこの日本語で行われている。

 こういう“真の国語”を持ち得た国家はそれほど多くはない。日本を除けば、イギリス、フランス、イタリア、スペインなど欧州の一部の国だけである。ロシアは近代に入ってもしばらく、フランス語を公用語にしていた。宮廷の貴族達はフランス語で会話していた。支那語(中国語)はいまだに国内のすべての分野の教育に用いられていない。足りない部分は英語で補っている。韓国語も然り。アメリカ英語など、植民地支配語のイギリス語が人為的に国語化されたものに過ぎない。その英語(アメリカ語)の地球規模の普遍語化がインターネットによって加速されている。国語危うし。日本語危うし。そのことがこの著書の主要動機になっている。

 後半は「日本語という“国語”の誕生」から、「日本近代文学の奇跡」、「インターネット時代の英語」、「英語教育と日本語教育」と、著者の論述が進められる。インターネットの時代になり、普遍語としての英語の地位、影響力がますます高まり、英語が使えないと、商売も学問も外交も出来ない。日本語を含めた英語以外の国語の存在が危うくなり始めている。日本でも英語教育論が盛んになり、日本国、日本人が生きながらえるために、英語公用語化必至と声高に言う人も少なくない。その声に押され、文科省は小学校低学年から英語をカリキュラムに取り入れた。そう言う風潮や現実を十分理解しながら、著者は現在の日本の英語教育のあり方に異を唱え、今以上の国語(日本語)教育のさらなる重要性を強く主張する。

 著者は日本における英語教育に関し、三つの選択肢を提示する。@「国語の英語化」、A「国民全員のバイリンガル化」、B「国民の一部のバイリンガル化」である。@は論外として、英語公用語化はAに相当する。その上で著者はAではなくBを日本が選ぶべき道だと主張する。今日本で行われているような「外国人に道を教えられる」程度の低レベルな英語教育はまったく無意味と喝破する。英語を学ぶ以上バイリンガルを目指すべきだが、国民のすべてがバイリンガルである必要はない。政治、経済、学術分野で世界に伍する仕事をするエリートだけがバイリンガル化すれば良い、と言う。その上で日本語教育の重要性を説き、著書の末尾で、「日本の国語教育は、日本の近代文学を読み継がせることに主眼を置くべき」とまで言い切っている。日本の知識人や、ゆとり教育の文科省の役人が聞いたら目を剥くような主張ではあるが、現在文科省が行っている中途半端な英語教育や、国語教育のいい加減さを顧みると一聴に値する。

 著者の見方によれば、明治以来の日本の近代文学は日本人の魂の表現であり、世界にも稀な“奇跡”なのだという。そのことを説明するのに数十ページを費やしている。これを守り継ぐことが国語教育のあり方だと断言する。近代文学という概念は西欧にはない。フランス文学やイギリス文学には古典と近代という境目はない。明治維新までの普遍語である漢文を脱して、漢字仮名交じり表記の国語(日本語)が出来上がったのはほんの百年前のことだ。その上に多くの文人、作家の手によって日本の近代文学が生まれた。これを論じる材料として、著者は漱石の「三四郎」を盛んに引用する。どうやら自分と同じく漱石文学のファンらしい。三四郎が熊本から上京する汽車の中の描写や、上京後の広田先生、寺田寅彦がモデルの物理学者野々宮君等との交流の中で、明治のエリート達が西洋文化の激流の中でもがき苦しみ、その果てに日本独自の近代文学を打ち立てた有り様を詳述している。漱石自身ロンドン留学もした英語の達人だし、日本初の言文一致体小説「浮雲」を書いた二葉亭四迷、流麗な文体の「金色夜叉」の著者尾崎紅葉など、明治の多くの作家達は例外なく外国語に通じたエリートで、常日頃外国文献を読みあさっていたという。今どきの文人とは大違いだ。

 著者はある出版社から樋口一葉の「たけくらべ」の現代訳を頼まれたが、断ったという。日本語は英語のような単純な表音主義の外国語とは違う。言葉一つ一つにいろいろな意味があり、文学表現で細かく使い分ける。それを説明するのに、「ふらんすに行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し、せめて新しき背広をきて、きままなる旅にいでてみん。」と言う有名な萩原朔太郎の詩を例に上げる。これを「仏蘭西に行きたしと思えども…」に変えたら、朔太郎のなよなよとして頼りなげな詩情が消えてしまうし、「フランスに行きたし…」では当たり前すぎて何の妙味もない。この差は日本語を知らない人には理解出来ない。この詩を口語体にして、「フランスへ行きたいと思うが、フランスはあまりに遠い。 せめて新しい背広を着て、気ままな旅に出よう」では下手くそなJR東海の広告以下だと言う。ましてや「たけくらべ」の緊張感あふれたテンポの良い疑似古文の文体を現代の口語体に書き直したりしたら、意味は通じても文学作品としての価値は消滅する。最近源氏物語の現代語訳がいろいろ出ているが、同じく無価値だろう。

 途中、著者の日本近代文学への思いが脱線して、最近の日本文学について厳しい見方を述べている。「本屋の書棚ににあふれる“文学作品”は(自分のものも含めてと謙遜しながら)「かって日本文学が高みに達したのを忘れさせるようなものばかりだ。 昔風に言えば、まさに“女子供”のためのものに過ぎず、かって日本近代文学の奇跡があったからのみ、かろうじて文学という名を冠して流通させているものばかりだ」と喝破している。最近の芥川賞作品のつまらなさ、くだらなさを指摘しているようで、言い得て妙、まったく同感である。

 久し振りに知的スリルにあふれる面白い本を読んだ。著者に刺激されて、何十年も昔に読んだ「三四郎」や「草枕」や、「金色夜叉」や「婦系図」を引っ張り出して読み返してみようかな。

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