【伝蔵荘日誌】

2009年9月11日: 憂う!鳩山外交の幼児性ーその2  T.G.

 今日北京で行われた日中韓首脳会議の冒頭、鳩山首相は、「今までややもすると日本は米国に依存しすぎていた。 日米同盟は重要だと考えながら、アジアをもっと重視する政策を作り上げていきたい」、と述べたそうだ。 彼の目玉政策である「東アジア共同体」構想に絡めた発言である。 昨日の外国特派員協会での岡田外相発言と合わせると、どうやらうっかり口が滑ったのではなく確信犯のようだ。

 昨日心配したことがまたもや繰り返された。 なぜ北京くんだりまで来て、わざわざアメリカに喧嘩を売るような危うい物言いを、枕詞のように軽々しく口にしなければならないのか、理解出来ない。 「米国に依存しすぎた」と言う表現は、「間違いだった」というニュアンスを含む。 これは日本語だろうと英語だろうと中国語だろうと同じだ。 この発言のニュアンスを分かりやすく言い換えれば、「A君とだけ仲良くし過ぎたのは間違いだった。 これからはC君やK君と仲良くする」になる。    こんな言い方をすれば、仲良しA君が面白かろう筈がないことは子供でも分かる。 これをきっかけに気まずくなったり、仲違いしたり、下手をすれば喧嘩になるおそれも十分ある。 子供の世界でも、賢い子はガキ大将相手に絶対にこういう物言いはしない。 A君に聞こえないように言うか、「C君、K君と仲良くしたい」とだけ言う。 東大とスタンフォードを出た秀才総理が、なぜこんな子供でも分かる理屈が分からないのか。 危うい発言を世界中に発信しなければならないのか。 ただただ慨嘆!

   もしかすると彼はそんなつもりはさらさらないのかも知れない。 その直後の記者会見でこの発言の真意を問われて、「アメリカとの関係を変更するつもりはない」と弁解している。 これは言わずもがなの言い訳、“証文の出し遅れ”の見本だ。 何の役にも立たない。 これでガキ大将のA君やアメリカが納得するはずが無い。 育ちのよい、いいとこのオボッチャマは、これで世の中が通るとでも思っているのだろうか。

 その逆で、このエキセントリックな「依存しすぎていた」発言が彼の確信的発言だったとすると、(おそらくそうなのだろうが)、腕力が強いガキ大将のアメリカ相手にこのような危ういセリフを口にする以上、日本国民の生命財産を預かる総理大臣としては、それによって生起される事態を予測し、それに対する見通しや戦略の用意がなければならない。 しかし、これまで彼が明らかにしてきた外交戦略(そんなものがあるかどうかも疑問だが)にはそのかけらも見当たらない。 見通しも戦略も持たず、気分でアメリカに喧嘩を売る。 彼は喧嘩など売ったつもりはないのだろうが、アメリカが不快に思いこそすれ、愉快に思うはずがない。 日米関係の温度が下がりこそすれ上がることはない。 ただでさえ普天間基地問題でアメリカと揉めているこの時点で、このような軽々しい発言は大人のすることではない。

 このシチュエーションは、日露戦争後の蜜月時代が終わり、中国利権に関する日米双方の思惑の食い違いから、アメリカと気まずくなり始めた1930年代初めとそっくりだ。 当時日本にとって“正義”だった「大東亜共栄圏」が「東アジア共同体」と名前を変えただけである。 「大東亜共栄圏」は戦前日本の侵略主義の象徴のように言われるがそうではない。 そもそもの発想と目的は、中国(支那)を含む東南アジアの欧米列強植民地を開放し、現在のヨーロッパ連合のような国家連合を作り上げるという、オバマもハトヤマも真っ青な崇高な理念にもとずいていた。 この善意から出た日本の構想も、欧米列強から見たら自分たちの権益を侵す良からぬスローガン以外の何物でもない。 このナイーブな日本の“よからぬ悪巧み”は英米によって粉砕され、その結果日本は完膚無きまでに叩きのめされた。 国家間の力学や権益が錯綜する国際社会では、いくら崇高な正義であっても、理念や理想だけで物事が運ばないことを、我が国は前の戦争で身に凍みて知ったはずだ。 それなのに宇宙人ハトヤマはその愚を繰り返そうとする。 教訓がまったく生きていない。
 (写真は昭和18年東京で行われた大東亜会議の参加各国首脳。 中国代表は蒋介石でも毛沢東でもなく汪兆銘。 このときも外交下手な日本は交渉相手を勝手に間違えている。)

 あの頃と比べて状況が違っている点は、日本にはさしたる軍事力がなく、反対に中国の軍事力は日本に比べてはるかに強大であることだ。 経済に関しても、日本はアメリカと中国無しに生きていけないが、彼らはそうでない。 日本がいなくても、米中で組めば何でも出来ると思い始めている。 歴史的にアメリカと言う国は日本より中国に親和感を持っている。 最近のオバマ、クリントン戦略を見ているとそのことがよく分かる。 すでに経済大国であり、核大国である中国は、日本の軍事力など屁とも思っていない。 日本ご自慢の経済も、もはや中国無しには立ちゆかないことを彼らは重々知っている。 日本など、アメリカと離反させればどのようにでも料理出来ると思っている。 中国にとって唯一目の上のたんこぶは、軍事同盟としての日米安保である。 その日本の総理大臣が、のこのこ北京までやってきて、東アジア共同体などとヨダレの出るようなことを言ってくれた。 鴨がネギ背負って来てくれたようなものだ。 さぞかし胡錦涛は笑いが止まらないだろう。

 中国は昔も今も日本にとって鬼門である。 悪女と同じで、深入りするとろくなことにならない。 日本人は得てして誤解するが、日本人が中国に持っているシンパシーを、中国人は日本に対して持っていない。 前の戦争の失敗に対する反省と教訓は、「二度と中国には関わらない。 関わっても敬して遠ざけ、深入りしない」ことである。 日本から言いだして、中国を巻き込む多国間同盟を作るなどもってのほか。 そんな力や立場は日本にはない。 いくら正義であっても、大東亜共栄圏などと身の程を知らぬことを言いだしたのが、戦前日本の最大の誤りだったのだ。 秀才ハトヤマはそのことを忘れているようだ。 国家指導者にはもう少し歴史を勉強してもらわねば困る。

 この構想については、同行した外務官僚や国会議員などにもよく知らされていないらしい。 どうやら与党、民主党の中でも、外交政策としてきちんと吟味されていないらしい。 CO2削減25%もそうだが、国際外交の場で総理大臣が用意もなく気分で剣呑なことを口走る。 あー恐ろし、秀才総理の言葉遊び! 南無阿弥陀仏! どうか日本がおかしくなりませんように。                    

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