【伝蔵荘日誌】

2009年10月9日: 憂う、鳩山外交の幼児性。 T.G.

 岡田外相が有楽町の日本外国特派員協会で講演し、東アジア共同体に米国の加盟を認めないと発言したそうだ。 なぜこの時期に、こんな場所で、こういうことを言う必要があるのか、首をかしげる。 どうやら「東アジア共同体」構想は鳩山外交の目玉政策らしいが、もしそうであるなら、国際同盟のような外交の機微に触れる政策は、努めて慎重に、したたかに進めるべきだろう。 多国を巻き込む外交事案に、この国は入れる、あの国は入れないなどと実も蓋もないことを、交渉も始まらないうちにぺらぺら喋るのは愚の骨頂である。 聞かれもしないのにヒミツを喋ってしまうのは幼児がよくやることだ。 よしんば内心米国は外すと決めていても、それは実際の交渉の進展状況を見ながら、適切な場面で切るべきカードだろう。 テクニックとしてのブラフは別として、外交の要諦は後出しジャンケンなのだ。 最初からカードを見せては交渉にならない。

 この問題の交渉相手はもっぱら中国である。 東アジアと言っても中国以外の国は実質的な交渉相手ではない。 そうであるなら東アジア構想は中国との駆け引きになる。 その中国側が腹づもりを見せていないうちに手の内を明かすとは、愚かとしか言いようがない。 この発言が、G2構想など最近のオバマ政権の中国寄り姿勢を牽制する意図的なブラフだったら見上げたものだが、彼にそこまでの魂胆や戦略があるのだろうか、疑問だ。

 ヨーロッパ連合、NATO、など、世界に多々ある国際同盟は、いずれも長い時間かけて、お互いの腹の内を探り、利害を調整しながら、外交力を駆使して作り上げられている。 どうやら民主党がお好きでないらしい日米安保だってそうだ。 敗戦国というきわめて弱い立場にありながら、当時の政治家達は死力を尽くして交渉にあたり、当時の日本にとって最適解を導き出そうと努力した。 “日本国憲法”のように、アメリカの一存で一夜にして作られたわけではない。 その中には今騒がれている「密約」なども混じり込んでいる。 これは当時の国際情勢や日本の立場からして、やむを得ざる仕儀であったし、核の傘を担保し、軍備は最小限に抑え、沖縄返還を導くための“必要悪”でもあった。 それなのにこの政党はこの密約を悪者にする。 岡田外相は外務次官に密約のエビデンスを出せと命令した。 そんなものあるわけがないだろう。 密約なんだから。 よしんばあったとして、それを今さら表に出して何の得(国益)がある。 そう言えば岡田氏は以前別の場所で、「国益より正義が大事」などと子供じみた発言をしたことがある。 こういう人物が外相では枕を高くして眠れない。  外交はすべからく相手との駆け引き、条件闘争である。 鳩山にしても、最初からCO2削減25%を声高に言ったりしては、外交にならない。 外交はええカッコする場ではない。 国益追求の場だ。 オバマは口が曲がっても数字をコミットしなかった。

 鳩山首相の外交姿勢で大いに気になる点がある。 やたら英語を使いたがることだ。 国連での英語演説は聞くに堪えなかった。 英語が下手なことを言っているのではない。 どこの国の首脳でも、外交の場では自国語を使う。 フランスやイタリアやスペインやドイツやロシアの首脳は決して英語で演説などしない。 ましてや胡錦涛主席や李明博大統領は英語など使わない。 ヨーロッパの首脳はいずれも英語が堪能だから、雑談やオフレコの会話は英語が飛び交うが、いざ交渉の場に臨んだらすべて自国語で押し通す。 それが世界の外交常識だ。

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」に、日露戦争時の外務大臣小村寿太郎のことが書かれている。 戦争終了後、米国ポーツマスで行われた日露講和会議(写真)に臨んだ小村外相は、フランス語が堪能であるにもかかわらず、会議の場では一切そのそぶりを見せないで、すべて日本語で押し通したという。 フランス語は当時のロシア外交の公用語で、ロシア側全権大使ウィッテはフランス語を使った。 難しい交渉が終わった後のパーティで、小村が流暢なフランス語でウィッテに語りかけると、相手側が驚いて小村の顔をまじまじと見たという。 この作品中の名場面の一つだ。

 外交交渉で外国語を使うほど愚かなことはない。 理由はいろいろある。 まず第一に、相手より不得手な外国語を使うのは不利という点だ。 どうしても相手より劣勢に立たされる。 自分の考えや主張を正しく表現出来ないし、相手の主張を論駁する力も欠ける。 もう一つは、発言が通訳されている間に相手の腹を読んだり、次の発言を考えたり出来ないことだ。 外交交渉は漫才ではないから、機関銃のように話す必要はない。 慎重に考えながら、時間をかけて進めればいい。 通訳を介すと真意が伝わらないというなら通訳を替えればいい。 通訳が下手なだけだ。 通訳のタイムラグは外交交渉にとって意味ある“間”なのだ。 仮に英語が堪能で、通訳なしで相手の言い分が分かっても、通訳が終わるまで黙っているべきである。 交渉の場でフランス語を使わなかった小村を、ロシアの老練な外交官ウィッテは、したたかな好敵手として一目置いたと司馬遼太郎は書いている。

 非英語圏の首脳は、国際外交の場で自国語で演説するのが世界常識である。 国連で日本のハトヤマがあえて下手くそな英語で演説したのは奇観である。 口には出さないが、日本を除く世界中が内心そう思っているだろう。 アホではないかと。 分かりやすい英語だったなどとお追従を言うマスコミや識者がいるが、論外である。 そう言う次元の話ではない。 1951年、サンフランシスコの講和会議に臨んだ吉田茂首相の受諾演説原稿は、外務省の役人が英語で書いたものだった。 随行していた白州次郎が怒って、自ら日本語で書きあらため、なおかつ巻紙に筆でしたためた。 吉田はそれをテーブルに広げて朗々と読み上げたと言う。 吉田は戦前イギリス大使を勤めた英語通だし、ケンブリッジでキングスイングリッシュを叩き込まれた白州は、アメリカ人より英語がうまいと評された人物である。 小村や吉田と比べては気の毒だが、鳩山や岡田の外交はいかにも危うく見劣りがする。 幼児性が見え隠れする。 こんなことで21世紀の世界の荒波を乗り越えていけるのだろうか。 この政権の最も気懸かりな点だ。

            

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