【伝蔵荘日誌】

2009年10月7日: ブルーマウンテンとジャマイカ料理 T.G.

 遅い朝食を摂りながら、BSフジの「大使館の食卓」を見る。 地味だが好きな番組で、時々見る。 女性キャスターが各国大使館を訪問し、その国の料理を大使や家族と楽しみながら国柄を紹介する内容である。 今朝は港区愛宕にあるジャマイカ大使館。 出迎えた一等書記官はすらりとした長身の、ファッションモデルと見まごうばかりの美人黒人女性。 大使自身もアフリカ系黒人女性である。 大使の説明によると、ジャマイカは人口の90%以上がアフリカ系黒人なのだそうだ。

 ジャマイカという国名を聞いて日本人の頭に浮かぶのは、コーヒーのブルーマウンテンと100m世界記録保持者ボルトぐらいだ。 正直言って当方もジャマイカの国土や国情はあまり知らなかった。 ジャマイカはカリブ海に浮かぶ島国で、大使の紹介によれば、面積1万平方キロ、人口280万人だと言う。 秋田県とほぼ同面積だが、人口は秋田の2倍半以上ある。 一番高い山は、標高2230mのご存じブルーマウンテン(右上写真)。 遠くから頂上付近が青く見えるのでその名が付いた。 その中腹で栽培される有名なコーヒー豆は、大半がコーヒー好きの日本に輸出される。 以前聞いた話では、限られた狭い地域で栽培されるブルマンブランド豆はごく少量しか採れないのに、日本で売られるブルマン豆の総量はそれをはるかに上回っているという。 つまりほとんどがにせ物と言うことだ。 コーヒー好きは重々心されよ!

 大使に案内されて執務室に入ると、壁に2枚の写真が飾ってある。 一枚は椰子の木越に見える美しい海岸風景、もう一枚はザクロのような赤い果実。 大使が言うには、最初の写真はジャマイカからはるか遠く離れたアフリカ、ガーナの海岸、2枚目の赤い果実はアキーというアフリカ原産の果物だという。

 なぜそんな写真が飾ってあるのか訝るキャスターに、大使が坦々と説明する。 国民のほとんどがアフリカ系黒人で、先祖は16〜8世紀にアフリカから連れてこられた黒人奴隷。 この海岸は先祖達が家畜のように奴隷船に積み込まれた場所なのだという。 大使自身がガーナを訪れたとき撮った写真だそうだ。 アフリカ原産のアキーは、カリブ海周辺ではなぜかジャマイカにだけに自生している。 これを食材にしたジャマイカ料理を大使自ら作って紹介していた。 作りながら大使が言うには、むりやり奴隷船に積み込まれた先祖達が、アキーの実を握りしめてジャマイカに着いた。 その種がこの地で繁殖したのだという。 そう言う怨念に満ち満ちた話を、大使は何の感情も交えず、旅行案内のように明るく坦々と話す。 むしろその方が驚いた。 たいていの国では、屈辱と怨念に満ちた祖国の歴史を口にする場合、いくら冷静にしていても顔に何らかの感情がよぎる。 思わず無念さが語り口に顕れる。 大使という職業柄、感情を表に出さない訓練は受けているのだろうが、それにしてもあっけらかんとした語り口だ。

 興味が湧いてグーグルでジャマイカのことを調べてみた。(便利だね!) 要約すると、1492年にコロンブスが西インド諸島を“発見”し、その2年後の94年にコロンブス自身がジャマイカを“発見”した。 その後スペイン領となり、原住民を酷使したサトウキビ栽培のプランテーションが作られる。 酷使された原住民が少なくなると、労働力不足を補うために大量のアフリカ黒人奴隷が連れてこられた。 その後1670年にイギリスが軍事占領し、以来イギリス領植民地となる。 (こんなやり方で1945年まで世界中が欧米の切り取り自由の植民地だったわけだ!) 19世紀末頃から大規模な黒人の反乱が頻発し始め、紆余曲折の後、1959年に自治権を獲得し、1962年に英連邦加盟国として独立している。 よって公用語はこの地域には珍しく英語である。 執務室には独立運動に携わった7人の偉人達の写真や肖像画が掲げてある。

 ジャマイカは政情不穏の中南米、カリブ海周辺地域では比較的穏やかな国情で、風土は美しく、政治も安定してる。 周辺の中南米地域で頻発するテロや軍事紛争の話は聞こえてこない。 主たる産物は金や世界の生産量の4割を占めるポーキサイトなど、鉱物資源だという。 昔からスポーツと音楽が盛んで、世界的な陸上選手や大リーガを輩出している。 陸上短距離の一流選手のほとんどはジャマイカとその周辺から出ているという。 人々はスタイルが良く、顔立ちも整っている。 すらりとした美人女性が多い。 一口にアフリカ系黒人と言っても、地域により人種差があるのだろう。

 レゲエは世界的に有名ジャマイカ発祥の音楽である。 ジャズと同じく黒人音楽から派生し、明るく洗練されたスタイルで、一つの音楽ジャンルを確立している。 我々老年には懐かしい、ハリーベラフォンテの“Dai−O”はレゲエと同種の、ジャマイカのバナナ運搬労働者達の歌だそうだ。

 主として黒人種で形成された国家で、これほど安定して、文化や地味が豊かな国家をほかに知らない。 少なくとも彼らの祖先であるアフリカ大陸では皆無である。 不安定な地域にある後進国だから、それなりの難しさや不安定さはあるのだろうが、植民地から抜け出した黒人独立国としては大成功の部類に入るのではないか。 隣のキューバやドミニカ、ハイチはいまだに軍事政権が続いて不安定だし、ベネズエラやプエルトリコ、パナマは絶えずアメリカとごたごたを続けている。

   ジャマイカの明るさは、貧しいながらも過去の歴史の怨念を払拭し、止揚させた所から生まれたように見える。 もしそうだとすると、地政学的にジャマイカよりはるかに好条件の位置にありながら、いつまでたっても過去の歴史と怨念に呪縛され、口を開けば日帝支配を口汚く罵るばかりで、独立独歩、自ら道を切り開こうとしない隣の国に、爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。             

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