【伝蔵荘日誌】

2009年8月26日: ヒットエンドランを知らない子供達 T.G.

 日経ビジネスのWebに、小田嶋隆と言うコラムニストが「ヒットエンドランを知らない子供達」という面白いエッセイを載せている。 書き出しはこうだ。

 「「全員野球で」と、鳩山由起夫氏は、党代表就任の第一声で、確かそう言っていた。  その時、テレビの画面を見ながら、わりと簡単に納得した気分になったのは、たぶん私がオッサンだからだと思う。 男でも中高年でもない、日本人のうちの四分の一ほどを占めるヤングでフレッシュな人々は、鳩山代表が言うところの“全員野球”発言をうまく理解することができなかったはずだ。」

 このエッセイはかなり長いもので、今の子供達と今の大人、すなわち一時代前の子供達の社会認識の違いについてあれこれ書いている。 そのテーマの一つに挙げたのが野球である。 氏が言うには、今どきの大方の子供達は、一昔前の子供達なら誰でも知っていた、“ヒットエンドラン”と言う野球用語の意味を知らないだろうという。 だから鳩山民主党代表が言う“全員野球で”の意味がまるで分からないのではないかと憶測する。 話は脈絡もなく違う方向にどんどん流れて、毎年夏、テレビ局が馬鹿のひとつ憶えのように流す戦争回顧番組が、今の子供達にはまるで意味の分からぬ、SF時代劇のように見えているのではないかと憶測を広げる。 その上で、「伝わらないものは伝わらない。 そろそろ別の方法を考えた方が良い。 戦争を知らない子供たち(自分の世代のこと)の子供たちは、おそらくとても冷ややかな目で八月の恒例行事を見ているはずだ。」とかなりシニカルである。 下らなくて面白いから一読して下され。

 まあそれはともかく、ヒットエンドランに限らず、野球のルールや用語、テクニックは複雑でなかなか難しい。 ルールらしいルールと言えばオフサイドぐらいしかない、単純極まりないサッカーとは大違いだ。 サッカーにはオフサイド以外、手を使ってはいけないとか、危ないことをしてはいけないなどという、馬鹿でも分かるルールがあるだけ。 肉弾戦の醍醐味というサッカーならではの面白さは別として、ゲームの複雑さという点では、野球に比べるべくもない。

 息子が幼稚園の頃、大の巨人ファンで、小学校に上がるとすぐに、地域の少年野球チームに入れてもらった。 大きくなったら甲子園に行って巨人軍に入るというのが息子の夢で、親バカオトーサンに、その頃スター選手だった原タツノリモデルのグローブを買ってもらって、勉強などそっちのけで毎日野球に明け暮れていた。 6年生になると背番号10番、キャプテンでポジションはサード。 親バカの目から見ても、三遊間のゴロの捌き方がなかなか様になっていた。 休みの日に地区の対抗試合をよく見に行ったが、スリリングで巨人阪神戦よりよほど面白かった。 甲子園に行ったらオトーサンは会社の仕事なんか全部ほっぽり出して応援に行くぞと、本気で思っていた。 うまく行ったら今頃は契約金で左うちわのはずだったが、残念なことに中学に上がると、何を思ったのかきっぱり野球をやめて、テニスに転向してしまった。

 それはともかくとして、その時のチームの監督が、若い頃巨人の入団テストを受けてあえなく不合格だったという野球オタクで、キャッチボールがやっとの低学年に、スクイズみたいなやたら難しいことを教える。 見ていて分かったのは、スクイズというのはかなり高等な戦術で、小学生低学年にきちんと理解させるのはきわめて難しいと言うことだ。 監督が、サインが出たら何があろうと本塁に突っ込めといくら口を酸っぱくして教えても、ボールを見た三塁ランナーが本塁の手前で立ち止まってしまう。 やっと飲み込めるようになるのは、3年生後半である。 ほかにもフォースアウトとタッチアウトの違いなど、教え込むのに一苦労するルールが野球には盛りだくさんだ。 フォースアウトとタッチアウトの違いが生理的に分かっていないとダブルプレーが取れない。 極論すれば、野球の基本はダブルプレーを取ることにある。 すべてのフォーメーションがそのために出来ている。

 そのほかにも野球の難しさがある。 野球を始める子供にとって、最初の難関はキャッチボールだ。 これが出来ないとゲームにならない。 だから最初のうちはキャッチボールの練習とランニングばかり。 退屈で面白くないので、よほど野球好きな子以外はやめてしまう。 グローブと軟式球を使ったキャッチボールが何とか出来るようになるのは2年生後半ぐらい。 キャッチボールが出来るようになっても、平凡な外野フライが何とか捕れることと、キャッチャーの牽制球が二塁に届くことが、ゲーム成立の最低条件だ。 そうでないと、フォアボールで塁に出たランナーが皆やすやすと盗塁し、外野フライが全部ホームランになってしまうので、いくらでも点が入って試合が終わらなくなる。 こういう最低限の基本技術が一通り身に付いて、その上ルールや戦術が一通り理解出来て、何とか野球の試合らしくなるのは4年生以降である。 ボールさえ蹴れれば、幼稚園児でも試合が成り立つサッカーとは大違いだ。 

 最初の話に戻って、ヒットエンドラン以外にも、例えばインフィールドフライ、ボーク、振り逃げ、タッチアップなど、昔の子供なら誰でも知っていた野球用語の意味を、今の子供達はどのくらい知っているのだろうか。 おそらく正しく説明出来る子は少ないのだろう。 今どきの子供達は手っ取り早くゲームが楽しめるサッカーに流れて、野球を始める子が少なくなっているらしい。 野球がオリンピックから除外されたと言うが、野球人気はますます低くなりそうだ。             

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