【伝蔵荘日誌】

2009年7月14日: 八ヶ岳と特養老人ホームと誰でもいい殺人 T.G.

 友人のM君に聞いた話である。 他所でしたたか飲んでいい気分で帰宅したら、姪御さんから電話があった。 18になる大学1年生の息子さんが友人と八ヶ岳の赤岳に登ると言いだした。 うちの息子はそんな高い山に登ったことがない。 山の経験豊かなオジサンから、危ないことはやめるように説得してくれ、と頼まれたと言う。 いい加減酔っぱらっていたM君は、何を言ったか憶えていないが、どうやら“よし!頑張って登ってこい”とけしかけたらしい。 逆効果もいいところである。 M君自身、同じ年頃の時、友人と連れ立って無謀にも初冬の八ヶ岳に登ったことがある。 途中で歩けなくなった友人を下山させて、自分は膝まで埋まる雪の中、予定通り歩き通した。 そのMオジサンに、危ないから止めてくれと頼む方が野暮と言うものだ。 翌朝奥方から、あなた何を言ったのととっちめられて、やむなく電話をかけ直した。 それでもやめろと言う気にはならず、幾つか注意を与えて、気を付けて登るよう言い置いたそうだ。

   自分も大学へはいる前の年に、友人と二人で赤岳に登ったことがある。 二人とも高尾山ぐらいしか登山経験のないまったくの初心者だった。 標高3000m近い赤岳登山は想像していたよりきつく、森林限界を抜けた頂上直下、濃い霧で視界の利かない急斜面のガレ場では泣きたくなった。 それでも頂上小屋に泊まった翌朝は快晴で、頂上から八ヶ岳全山は言うに及ばず、北中南アルプスが見渡せた。 昨日登ってきた清里駅からの清教寺尾根ルートが眼下に光って見えた。 元気いっぱい横岳、硫黄岳、夏沢峠を辿り、松原湖駅まで1日で駆け下りた。 これでいっぺんに山好きになり、このときの思い出が、後年北八ヶ岳に伝蔵荘を建てる動機になった。

 思い返しても、この“無謀登山”を周囲から止められた記憶がまったくない。 汽車賃と山小屋の宿泊費を母親から貰ったときも、せいぜい“気を付けて行ってらっしゃい”ぐらいだったような気がする。 ましてや危ないからオジサンに頼んでやめさせるなどという発想は当時の親にはなかった。 この違いは何だろう。 八ヶ岳が高くて危ない山だとは知らなかったからか。 それもあるだろうが、子育ての仕方に基本的な違いがあるような気がする。 いつの時代も親が子供のことが可愛いくて気懸かりなことに変わりはない。 昔の親に比べて、良くも悪くも今どきの親御さんは高学歴で情報過多、かつ経済力がある。 結果として過保護なのだ。 赤岳が2889mもある日本有数の高山であることなどとうにご承知。 それなのに18歳にもなった男の子を一人前と見なせず、幼児期と同じ様に細かいところまで世話を焼く。 またそれが出来る時間的、経済的余裕がある。 M君の話は今どきの子育てに共通する傾向だろう。 17、8の血気盛んな男の子が、夏の八ヶ岳程度で死にはしない。

 うちの親とM君の親、さらには同時代の親御さんには共通点がある。 まず当時の日本人の大部分がそうだったように、学歴が低い。 戦前は大学出の学士さんなんてほんの一握りの特権階級だった。 そのうえ経済力がなく、働きづめで時間的余裕がない。 うちの親は忙しくて、小学校から大学まで、自分の息子の学校に足を運んだことがない。 ましてや八ヶ岳がどんな山かも知らない。 そもそも登山なんて遊びはまるで知らない。 最たる共通点はどちらの親も6人の子沢山であることだ。 今どき子供が6人もいたらニュースになる。

 鬼子母神と言う神様には子供が千人いた。 それなのに自分は他人の子供を捕まえて食う。 悪行の懲らしめにお釈迦様が子供一人を隠したら、気が狂ったように探し回ったという。 いつの時代も子供が何人いようと親の愛情は変わらないのだ。 愛し方と育て方の違いがあるだけだ。 自分やM君の親だって、学歴が高く、経済力と時間的余裕があったら同じことをしたのかも知れない。 二人とも八ヶ岳には登らせてもらえなかったし、結果として伝蔵荘も建たなかった。

 今朝のNHKの番組で、徳山の特養老人ホームとインドネシア人介護士のドキュメンタリーを放送していた。 23歳の介護士であるインドネシア人の娘さんは、実家に両親と兄弟4人を残して日本に来た。 実家の月収は1万8千円だが、彼女の月給はその10倍の18万円。 一家は彼女からの仕送りを当てにしている。 彼女が老人ホームで最初に驚いたのは、世話をするほとんどの老人達に家族がいることだったという。 インドネシアでは身寄りのない人しかこういう施設には入れてもらえない。 貧乏でも家族がいれば一緒に暮らすのが当たり前なのだという。 彼女には高給でも、200万円程度の年収。 日本の若者には格差社会の見本みたいに非難される。

 別のニュースである評論家が、「最近頻発する“誰でもいい殺人”は、豊かな社会の副作用」と言う説を唱えていた。 貧困が原因の自殺は昔からあったが、生存を脅かされることのない豊かな時代、人間関係がうまく作れないとそれだけで絶望してしまう。 昔のように自分一人で死ぬ勇気がないので、無関係の他人を巻き込む。 こういう誰でもいい殺人の犯人は、捕まると例外なく死刑にしてくれと言うそうだ。 つまり自ら死ぬ勇気がないので、他人に殺してもらう間接自殺なのだ。 はた迷惑というか、世も末である。 いつの間に日本の若者はこういう甘ったれのヘタレになったのか。

 つらつら書いてきて思うのは、この三題噺はまったく異なる現象に見えて、共通するのは“豊かな社会の子育ての行き着いた先”と言う点だ。  20年後には日本の人口の半数が65歳以上になる。 日本が世界に誇る貯蓄率が低下し始めており、10年後には平均貯蓄率がゼロになると言う。 原因は老人の預金取り崩し。 子供に金をかけたあげく、老後を見てもらえない。 仕方なく預金を引き下ろして食いつぶす。 現在1300兆円ある国民の金融資産は早晩なくなるという予測もある。 間違った子育てと少子化が生み出した結末だ。 日本危うし!

 そろそろ“可愛い子には旅をさせよ”と言う昔からある格言を思い出す時ではないか。 ここで言う”旅”とは、あくまでも戦国武将山中鹿之助言うところの「我に艱難辛苦を与え賜え」の艱難辛苦の意味であって、親の金でハワイやヨーロッパに遊びに行かせることでは断じてない。 こうでも言わないと昨今の高学歴の親は誤解しそうだから。 偉そうに人のことを言えた義理ではないが。   

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