【伝蔵荘日誌】

2009年7月4日: ニート2万人増加の記事 T.G.

 昨日の毎日新聞に「青少年白書:ニート2万人増の64万人に 高年齢化の傾向」と言う記事が載っている。 小渕少子化担当大臣は“「さまざまな支援がなされているにもかかわらず、ニート状態からの脱却に必ずしもつながっていない」と施策見直しの必要性に言及した”そうだ。 何かおかしい。 ニートとは“学校にも行かず、働いてもいない、いい歳をした大人”の意味である。 どんな事情があるにしろ、派遣切り失業者と違って黙っていても食える結構なご身分だ。 放っておけばいい。 にもかかわらず、“なされている様々な支援”とはどんなものなのだろう。 勉強嫌いを学校に行かせることか? 働きたくなくて親に食わせてもらっている男(女)に仕事を探すことか? 少子化大臣とはつくずく暇な大臣だな。 そんな予算があるなら、子育て支援や出産医療費無料化に回せ。 仕事があるなら本当に困っている人に回せ。 高等遊民を税金で面倒見る必要はない。

 ニートのことを昔は高等遊民と言った。 夏目漱石の造語だそうである。 地方の資産家の息子で、大学を出ても働きもせず、親の金で東京へ出てきて遊蕩三昧。 売れもしない絵を描いたり小説を書いたり、毎日遊び呆けている。 太宰治なんかその典型である。 たまたま書いた小説が当たったからいいが、そうでなければただのごくつぶし。 今のニートと変わらない。 最後は玉川上水で女と情死した。 それでも昔の高等遊民はある意味日本文化の担い手と言う側面もあった。 社会の余裕でもあった。 小説絵画なんて、才能は別として、よほどの暇と精神的余裕がなければ出来ない。 食うのがやっとの凡人には逆立ちしても出来ない。 源氏物語以来、日本文学は高等遊民が生み出したと言って過言でない。

 ご近所にも絵に描いたようなニートがいるお宅がある。 出来のいいお子さんだったが、高校生の頃引きこもりになった。 もう40歳過ぎているが、若い頃は家庭内暴力でたびたび救急車が来た。 今は落ち着いているが、ほとんど外出しない。 たまに見かけると金正男みたいなメタボ体型。 部屋でじっとしているから運動不足なのだろう。 大企業勤務の親御さんも定年退職し、今は年金暮らしである。 とりあえず衣食住には困らないが、親御さんが亡くなった後はどうするのだろう。 子供には遺族年金は出ない。 人ごとながら心配になる。

 白書によれば、こういうけっこうなご身分の大人が2万人増えて64万人もいるのだそうだ。 どんな事情があるにせよ、憲法25条に言うところの最低限の生活は保障されている。 仕事もとりあえずは必要ない。 親御さんが死んだ後、資産も能力も気力もない人口が64万人増えると思うとやりきれないが、それはその時の話。 今はとりあえず放っておけばいい。 放っておくしかない。 なにせ本人が勉強も仕事もしたくないのだから。

 昔と違って今の親は子供の教育に金をかける。 少子化の一因は子供の教育費の高さにある。 子供を3人も産むと育てられない。 昔は金持ちの息子かよほど勉強の出来る子しか大学へは行かなかった。 高校へも行けない貧乏人の子供はたくさんいた。 勉強好きの貧乏人の子は、苦学して授業料の安い公立の学校へ行った。 だから子育てはそんなに大変ではなかった。 むしろ子沢山は働き口が増えていいと思われていた。 今は大違いである。 生活保護を受けながら私立の学校に行かせる親がいる。 それが教育の機会均等だと威張っている。 勉強なんかしたくないのに、猫も杓子も塾や大学へ行く。 行くのが当たり前と思っている。 都会の大学なんてまるでレジャーランドだ。 苦学なんて死語に近い。 言葉の意味を今の子供は知らない。 22歳過ぎまで親の金で遊んでいる。 卒業後も64万人もが働かず遊んでいる。 親の稼ぎや年金を食いつぶしている。 

 ニートならずとも、今の甘やかされた若者達は勤労意欲に欠ける。 少し働かせると過労死がどうのと文句を言う。 大学出だから職人やお百姓になる気はなく、誰もが仕事の楽なサラリーマンになりたがる。 あげくに派遣切りだと社会のせいにする。 その対策に福祉予算が垂れ流される。 これははたして子供の責任なのだろうか。 おそらく親の責任だろう。 楽が出来れば自分だってそうした。

 昔は親が年取って生活能力がなくなったら、子供が面倒を見るのが当たり前だった。 今の子供達にはそう言う家族観は薄れている。 年老いた親の介護を義務と思う息子も嫁もいない。 介護保険が面倒を見てくれると思っている。 同居して年寄りの世話なんて夢にも思わない。 良くも悪くも古い家族制度の崩壊だろうが、社会福祉の裏面でもある。 日本国憲法や民法改正など、法制度の改変によるところが大きいが、我々世代の子育ての結果でもある。 子供に過剰に金をかけられる親を見ていたら、そんなものかと子供は思ってしまう。 放っておいても親は大丈夫と思ってしまう。 天に唾したようなものだ。

 しばしば国債発行など国の借金は子供世代への負担の先送りと言われる。 考えようによってはそれほど悪いことではないのかも知れない。 マクロ的に見れば、その金が回り回って子供達は親よりはるかに豊かな暮らしが出来、いつまでたっても親に面倒を見てもらえる。 貧乏人の子供でも塾や私立の学校や大学まで行かせてもらえる。 親が年取っても国が何とかしてくれる(と錯覚している)。 自分の稼ぎで親の面倒を見なくて済む(と錯覚している)。 今しなければならない負担を結果として先送りしているのは、愚かな親心とそれに甘んじる子供達なのだ。 うちの近所のニートの息子さんは、親御さんが亡くなった後、今までの無為の帳尻合わせをする羽目になるだろう。 600兆円を越える国の借金は、息子や娘や孫の世代が払うことになるだろう。 ご馳走を先に食べるか後に残しておくかの違いだけだ。 せいぜい国に借金させて、ニート対策でも何でもやってもらおう。          

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