【伝蔵荘日誌】

2009年5月22日: 哲学者の禁煙方法 T.G.

 半年ごとに開く瑞鳳寮OB会に参加した。 昭和35年、瑞鳳寮最後の1年を過ごした20人のメンバーのうち、東京近郊に住む7人が集まる。 当方が最も若い当時の1年生で、一番上は農学部4年生だったAさんである。 今では全員立派な中期高齢者である。 開催場所は毎回新宿歌舞伎町の居酒屋「樽一」。 古色蒼然たる店内の雰囲気が、昔の瑞鳳寮のコンパに似ているので、皆気に入っている。

 聞くところによると店主が塩竃の出だそうで、当然メインの酒は「浦霞」である。 Aさんが「一の蔵」を注文したら置いてないという。 Aさんの話では、このかなり名の通った酒の出自は東北大農学部なのだそうだ。 それは知らなかった。 塩竃の店らしく、魚の他に鯨料理もレパートリー豊富である。 学生時代塩竃に行くと、金華山沖で獲れたた鯨が水揚げされ、港で解体されているのを目にした。 当時の仙台では、どこの魚屋にも店先に大きな鯨肉の塊が置いてあった。 “捕鯨船日進丸”が南氷洋で獲ってくる冷凍物の鯨と違って、取れたての生鯨である。 安いので学食や寮の食事によく出された。 1年生の夏合宿で大雪山から十勝岳を2週間歩いたときは、塊を塩漬けにしてエッセンに使ったりした。 美味いものではないが、当時は安価で貴重なタンパク源だった。 今では懐メロみたいな年寄りに人気がある食材だ。

 いつもは学生時代以降の話しか出ないが、珍しく戦争の頃のことが話題になった。 最年長のAさんは昭和11年生まれ、国民小学校の生徒だった。 千葉の田舎には空襲なんかなかったでしょうと聞くと、東京を爆撃したB29が房総半島をかすめて帰投する際、残りの爆弾を捨てていくのだという。 同じく文学部4年生だったMoさんは、実家が品川で空襲は免れたが、赤く染まった夜空を見上げると、きらきらした物がたくさん落ちてきてきれいだったと言う。 あれは焼夷弾かと言うので、焼夷弾は空中で発火しないから違うでしょうと言った。 当方は名古屋大空襲の際、実際に落ちてくるのを見た。 たくさんの黒く細い針のように見える物体が、斜めになって雨のように降ってくる。 地面に落ちると信管が破裂して発火する。 玄関先に被弾し、燃え上がったのを見た記憶がある。

 何かの話の弾みで禁煙が話題になった。 ほとんどが喫煙経験者だが、今はやめている。 当時の寮生は大半がタバコを吸っていた。 大学に入って寮生活をすると、先輩達が吸っているので自然と憶えてしまう。 夜中にタバコが切れると、シケモクと称して皆で火鉢の中の吸い殻を探して吸ったりした。 ニコチンの塊を吸っているようなもので、体に悪いことおびただしい。 今のように喫煙にうるさい時代でなく大らかだった。 自分も大学へ上がる前の未成年の時から吸っていたが、母親に叱られた憶えがない。 それどころか時々タバコ代を貰ったりした。 会社に入ってからもかなりのヘビースモーカーだったが、息子が生まれる半年前に、こんなものを子供に吸わせてはいけないときっぱりやめた。 以来33年、今では大のタバコ嫌いだ。 そのやめ方の話をしたら皆から失笑を買った。 いくら何でも話がカッコつけ過ぎと言うことだろう。

 2年先輩のMuさんの禁煙方法がユニークで、面白かった。 Muさんは文学部哲学科である。 しばらく前まで大学で哲学の教鞭を取られていた。 つまり哲学の先生である。 Muさんは禁煙するにあたり、「なぜ自分はタバコを吸うのか? 吸う必要があるのか?」と自らに哲学的命題を与え、その理由を思いつくままに書き並べ、哲学的に思索した。 何日かして突如、「自分がタバコを吸わねばならぬ理由はない。 吸うことに何の意味もない」という認識に到達し、タバコをやめたのだという。 言うなれば悟ったわけだ。 いかにもMさんらしいやめ方だと、これは受けた。 Mさんによると、哲学で重要なのは認識であり、仏教の悟りと同じだという。 ちなみにMさんの実家は鎌倉のお寺である。

 この話には続きがある。 何年か前Muさんがドイツを旅行した際、以前留学した際お世話になった大学の先生を訪問し、久し振りに哲学を語ろうと連れ立ってスイスを旅行した。 スイス山中でいろいろ語り合う中でこの禁煙の話をしたら、実に哲学的な禁煙方法だとその大先生が褒めてくれたと言う。 まるで哲学者同士の禅問答である。 Muさんはドイツに留学したくらいだから、今でもドイツ語の日常会話には困らない。 奥方がアサヒカルチャーセンターで英語を教えていると言うので、Muさんのドイツ語と奥様の英語のどっちが上か聞いたら奥様の方が上だという。 上には上がある。

 同じく文学部4年生だったMoさんは、今でも現役時代の仕事の延長で化学関係の業界記事の翻訳をされているという。 技術用語に困りませんかと聞くと、今はインターネットがあるからまったく困らないのだと言う。 どんな用語でもググレば一発で分かる。 英訳で難しいのは冠詞と単複だという。 ネイティブは理屈でなく直感で“a”と“the”の違いが分かるが、日本人には容易でない。 日本語の「〜は」と「〜が」の違いと同じである。 日本人なら「これは花です」と「これが花です」の違いは子供でも使い分けられるが、日本語を習っている外国の人に、違いを説明しろと言われたら難しい。 言語学者以外、ほとんどの人が正しく説明出来ない。

 日本語は単数と複数の区別がない。 英文の場合、単数と複数を取り違えると意味がまったく違ってくる。 会社が提携交渉をしている場合など、トラブルにもなりかねないという。 元の記事を書いた人に確かめたらと言うと、夜中に翻訳をして朝までに送るので聞く相手がいないのだという。 英作文も商売になると大変だ。

 Moさんは最初医学部に入られたが、どうしても美術がやりたいと文学部に入り直し、西洋美術科に進まれた。 瑞鳳寺の薄暗い寮の二階で油絵を描かれていたのを憶えている。 卒業後化学関係の業界紙の会社に勤められた。 何かの折りに絵が趣味ですかと馬鹿なことを聞いたら、何を言っているんだ、絵を描くために仕方なしに会社勤めをしているんだ、と叱られた。 鎌倉にアトリエを持たれていて、時々銀座の画廊で個展を開かれている。

   瑞鳳寮OB会のメンバーは、文学部、農学部、法学部、工学部、理学部の7人。 バラエティーに富んだ顔ぶれで論断風発。 半年先の瑞鳳寮コンパが待ち遠しい。    

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