【伝蔵荘日誌】

2009年5月7日: 憲法改正について、暇爺とのやりとり T.G.

 孫娘とディズニーシーのことを日誌に書いたら、それを読んだ暇爺からメールが来た。 孫と楽しみながら相変わらずの辛口だね、と言う。 その返事のやりとりから憲法改正に話が及び、若干の議論になった。 彼とは伝蔵荘の煖炉で酒を飲みながら、しばしば同様な議論をする。 日本の保守とリベラルの常、どこまで行っても平行線。 お互い酒が回ってお開きになるのが常である。 今回はしらふのメール議論なので、そこそこ建設的なやりとりなった。

 議論の発端は、暇爺が常日頃愛読している作家塩野七生氏の発言である。 去る2月号文藝春秋のコラムに、塩野氏が「今の日本の焦眉の急は、挙国一致内閣を作って一貫した経済政策を実現することと憲法改正」と、彼女らしいリアルでエキセントリックな調子で書いている。 まったく同感と彼に紹介したことから、いつものような“口角泡を飛ばす”議論になった。 話が佳境に入った頃、暇爺が泊まりがけのゴルフに出掛けてしまい、いったん休戦と相成った。 この続きは伝蔵荘でやることになりそうだ。

 暇爺とは最終的に憲法改正あるべしと日教組教育批判について意見が一致したが、その趣旨は大分違う。 ある意味平行線と言っていい部分がある。

 彼は塩野七生のローマ史ものの愛読者で、その文脈から、「日本の歴史教育はなってない。 年代などの事実を憶えさせるだけ。 そうではなくてその背景を理解させ、歴史から教訓を読み取らせるようにすべき」と主張する。 それに対し、「日教組の歴史教育が国民の歴史認識を歪めている。 歴史におかしな解釈を持ち込むなら、事実だけを坦々と教えた方がいい。 解釈は生徒の知性に任せるべき」と返事した。 どちらも日本の歴史教育を憂えている点は同じだが、視点が違う。 難しい問題である。 岡田英弘氏が著書「歴史とは何か」で述べているように、古来歴史書は執筆者の立場や意図が反映される。 物理学書のような客観中立はあり得ない。 立場によって正反対にもなる。 どう転んでも偏向は避けられない。

 最近、戦前の台湾植民地支配を完全悪と描いたNHKのドキュメンタリー「Japanデビュー」が話題になっている。 お年寄り台湾人がインタビューに「日本の統治は良かったが、悪い点もあった」と話したのを、意図的に悪い発言だけを取り上げて編集した。 真っ赤な嘘ではないが、歴史としての客観性を欠いている。 都合の良い事実だけを並べるのは歴史のタブー。 歴史をねじ曲げているのと同じだ。 こういう歴史は百害あって一利無し。 教えない方がいい。 百歩譲って多様な意見の尊重だとしても、公共放送が取り上げるべき解釈ではない。 東京裁判史観に偏った日教組の歴史教育もこれと同類である。 “戦前の日本は軍国主義に毒された侵略国家”という前提に立って、それに合致した事実だけを教える。 反対の事実は教えない。 初等教育は国家国民の土台である。 これをねじ曲げたら国がおかしくなる。 日教組教育を批判する暇爺は、この意見に賛同してくれたのだろうか。

 憲法改正について暇爺は、改正してもいいが、9条については慎重になるべきという。 当方は、真っ先に改正すべきは9条であり、極論すればそれ以外はさして重要ではない、と言う意見だ。 この点に関する二人のやりとりは、以下のようである。

 「9条については60年間さんざん議論してきたではないか。 これ以上時間をかけて慎重になるのは改正しないと言っているのと同じ。 国際的連携で安全保障が成り立つ今の時代に、集団的自衛権否定では国がもたない。 専守防衛も絵空事になる。 無理な憲法解釈で国家運営がおかしくなっている。 いい加減そろそろ決心しようよ」と迫ると、
「官僚が信用出来ない。 9条改正して集団的自衛官を認めると、そのうち必ず暴走を始めるだろう。 今の防衛省と同じくも戦前の軍部も官僚だった。 官僚を国民がきちんとコントロール出来るようになるまで9条は変えるべきでない」と言う。
 「日本国民は戦後60年、しっかり民主主義教育を叩き込まれてきた。 昔の無知蒙昧な日本人とは違う。 もはや戦前のような軍部暴走はありえない。 国民はもっと自信を持つべきだ」と指摘すると、
 「この点が二人の決定的に違う点だ。 公務員制度改革での人事院の谷総裁の発言なんか聞いていると、官僚はまったく信用ならない。 自衛隊も官僚なので実力を付けたら何をしでかすか分からない。 危険なオモチャを与えたら使ってみたくなったりするのが軍人の常だ。 再び国民を恫喝するようなことをしかねない。 国民の全面的信頼を得た国会議員による政治を確立してからでないと、官僚の暴走を止められない。 それからなら自由に行動できる防衛力を持ってもよい。」との答え。

 ここで議論は止まっているのだが、要するに9条改変の必要性は二人とも認めているが、それをきちんと運用出来るかどうかで意見が分かれている。 言われてみれば暇爺の言うのももっともだ。 今の日本は国家観を欠いた官僚達のやりたい放題。 自民も民主もひ弱な世襲議員ばかりで、夜郎自大な役人どもの手のひらの上で踊らされている。 ハマコー二世、浜田防衛大臣なんかまるで防衛官僚の使いっ走り。 多母神騒動のあたふた振りなんて、みっともなくて話にならない。 日本は民主主義国家とは言えず、官僚独裁国家だ。 日本の自主独立はまだまだ先か。

 おーい、暇爺、早く帰ってこい。 続きをやろうよ。       

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