【伝蔵荘日誌】

2009年3月5日: 小沢一郎にはがっかりした。 T.G.

 一昨日、小沢一郎の秘書が東京地検に逮捕された。 彼の育ての親である田中角栄は常に利権の渦中に身を置き、刑務所の塀の上を歩く政治家と言われた。 最後に躓いて塀の内側に落ちたが、弟子であるこの男も同じ道を辿るのだろうか。 今回逮捕に繋がった政治資金規正法違反は形式犯で、親分の受託収賄罪より罪は軽いと言われるが、政権を目前にしての事態であることを考えると、与えられる罰はより厳しい。 いくら形式犯だろうと東京地検が確証もなしに逮捕に踏み切るわけがない。 彼の政治生命はこれで終わるだろう。 日本の政界は最後のエースを失うことになる。 もう自民にも民主にもろくな政治家が残っていない。 自民は根性無しの二世三世ばかりだし、民主は国家観稀薄な似非リベラルばかりだ。 日本の政治の迷走はもうしばらく続くだろう。 官僚の高笑いが聞こえてくる。

 小沢一郎は田中角栄、竹下、金丸といった金権、豪腕政治家の薫陶を受け、数々の修羅場をくぐってきた。 その経緯ではぐくまれた危機管理能力が今の日本の混迷を救うのではないかと期待したが、昨夜の記者会見を聞いて諦めた。 まるで引かれ者の小唄のような物言いに終始し、危機管理能力なんか微塵も感じられない。 追いつめられておろおろするだけ。 この程度の器だったのかとがっかりした。 期待していただけに落胆も大きい。

 昨日の記者会見をテレビで見てがっかりしたのは次のような点だ。

 最悪なのは「政治的、法律的に不公正な国家権力、検察権力の行使だ。」と何度も繰り返している点である。 共産党や反体制運動家が言うならまだ分かるが、政権に手をかけた大政党の党首が言うセリフではない。 政権を握ったら俺もやるぞと言っているようなものだ。 戦後60年、日本の民主主義と法治主義は絵空事で、行政のトップである総理大臣なら検察も裁判所も意のままに動かせると言っているのと同じだ。 まるで日本を中国のような非法治独裁国家と同列に見なしている。 この期に及んでこういう認識しか持てない政治家に日本の政治を任せたくない。

 検察庁は行政機関であり、その長は法務大臣である。 しかしながら検察官は訴訟権限を独占する強大な権力を持っているので、不当な政治的圧力を受けないように独立性が与えられている。 端的なものが法務大臣による指揮権の制限だ。 滅多なことでは指揮権を発動出来ない。 指揮権発動の数少ない例は昭和29年の造船疑獄が有名だ。 時の与党、自由党幹事長佐藤栄作を東京地検が贈収賄で逮捕しようとした。 それに対し、内閣総理大臣吉田茂の意を受けた犬飼法務大臣が指揮権を発動し、逮捕を中止させて大問題になった。 犬飼法相は責任をとって辞職、吉田内閣は崩壊した。 あれから50年、今の政治はもう少し成熟しているし、麻生には彼の爺さんのような度胸はない。

 いじましいとしか言えないのは繰り返し出てくる“不公正な国家権力行使”という発言だ。 「西松から金をもらった政治家は他にもいるのに、俺だけねらい打ちにするのか」と言いたいのだろう。 先年ねずみ取りで捕まったとき、頭にきて思わず「スピード違反の車は他にもいたのに、なぜ俺だけ捕まえるのか」とお巡りさんに食って掛かった。 相手にされなかったが、小人の愚言と恥じ入った。 そんな庶民の低次元な捨てゼリフと同じことを、総理の椅子を狙う男が言ってはいけない。

 東京地検の意図について言えば、「小沢のような旧態依然たる金まみれの政治家に、手練手管だけで政権を取らせるのは日本にとってよくない」、と言う彼らなりの価値観、国家観が底流にあるのかも知れない。 それを国策捜査というならその通りだが、国家権力の横暴とまで決め付けるのはおかしい。 ありもしない犯罪をでっち上げているわけではない。 テレビ朝日のニュース番組で、小沢を擁護するコメンテータ達がさかんに国策捜査だと非難していたが、東京地検がこそ泥を追いかける組織であるわけがない。 どうもこの新聞は何が何でも民主に政権を取らせたいらしい。 地方警察ならいざ知らず、東京地検の捜査はいつでもある意味国策なのだ。 問題はその意図が司法の判断ではなく、時の行政権力の陰謀によるものかどうかだが、いくら何でもそれはない。 日本の法治を馬鹿にするにも程がある。

 問題の核心は政治団体からの献金か西松からの企業献金かという点だが、献金を受けた政治団体のバックが西松建設とは知らなかったという言い草は無理があり過ぎて白々しい。 馬鹿じゃあるまいし、そんなこと知らないはずはないだろう。 記者の質問に答えて、「政治団体からの献金という認識しかなかった」と再三言いつのりながら、同じ口で「秘書がやったことだから自分は知らない」、「西松からの献金という認識があれば政党支部で受領した」、「金の出所を詮索するのは相手に失礼だ」などと矛盾したことを言う。 馬脚を現すとはこのことだ。 みっともないったらありゃしない。 挙げ句の果てに「もし違法と分かったら返却する」に至っては語るに落ちるとしか言いようがない。 もう返却する相手などいないのは知っているくせに。 だいたい10年間に3億円ももらっている政治団体について、その内実は与り知らぬなどと言うことがあるわけがない。 竹下、金丸時代から、西松建設と小沢のずぶずぶの関係は周知のことだ。 「西松からの迂回献金と知っていたという証拠があるなら見せてみろ」、と開き直ったつもりだろうが、いかにも田舎芝居。 大方はそうに決まっていると思っているし、東京地検が確証もなく逮捕するはずがないとも思っている。

 ここまで愚劣な男とは思わなかった。 政権を取るつもりなら、無能な秘書に任せず、もう少し身の回りをきれいにしておくべきだった。 不幸にもこうなってしまった暁には、つべこべ言わず、何を言われようと「政治団体からの献金だと今でも信じている」一本で押し通せば良かったのだ。 しゃべればしゃべるほど化けの皮が剥がれる。 危機管理どころか追いつめられた果ての悪あがきとしか言えない。  実に器の小さい男。 近頃いちばんのがっかりだ。

 それにしても慈善事業ではあるまいし、西松が見返りもなしに3億円出すわけがない。 いまだに与野党を問わず日本の政治家がゼネコンとつるんで公共事業を食い物にしている事がよく分かった。 食い物にする政治家も悪いが、公共事業費という餌をばらまいて政治家を手なずける役人どもはそれ以上に悪辣だ。                            

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