【伝蔵荘日誌】

2009年2月13日: 今日は13日の金曜日 T.G.

 久し振りに日記を書こうと思ってカレンダーを見たら、何と今日は13日の金曜日だ。 テレビのニュースで小泉元首相が麻生総理の一連の発言に苦言を呈したと報じている。 映像を見ると相変わらず身振りや話しぶりに迫力がある。 言いたいことを短いフレーズでにこりともせず前を見据えて語りかける。 ヤクザの恫喝まがいの語り口は、郵政解散直前の記者会見の時と同じだ。 やはり話術は政治家の重要な資質だろう。 政策内容はともかく、安部も麻生も福田もこういう点を真似していれば、支持率下がらなかっただろうに。

 それにしても与野党を問わず昨今の日本の政治家のレベルはますます劣化している。 国会の論戦を聞いていても、攻める方も攻められる方も低次元のやりとりの応酬で、国政を司る志がまったく伝わってこない。 自民党の混迷ぶりや麻生総理のその場限りのいい加減な発言にも溜息が出るが、この期に及んで何やら分からぬ術策に走り、自らの政策を世に問うとしない民主小沢代表にもあきれ果てる。 自分の代わりの代表質問に田中真紀子氏を立てたが、相変わらずだだの口汚いおばさんで、政治的見識など皆無。 なんでこんな女を国会議員にしたのかと新潟3区の民度を疑いたくなる。 百年に一度の“未曾有の”危機だといいながら、与野党双方とも上っ面の言葉遊びで、事態を切り開こうと言う意志が感じられない。 このままでは経済問題以外の“失われた20年”が始まるのではないかと危惧する。

 戦後日本の政治家達は、東西冷戦の狭間で厳しい国家運営を迫られ、善戦健闘してきた。 吉田、岸、池田、佐藤から、田中、福田、大平、三木、中曽根あたりまでの首相達は、毀誉褒貶はあろうがそれなりの政治哲学を持って国政を取り仕切ってきた。 彼らの政治結果は、同時代のアメリカ、イギリスの政治家のそれに比べて遜色がない。 それどころかある意味上回ってもいる。 おかしくなったのはその後だ。

 93年の総選挙で過半数を取れなかった宮沢内閣が潰れ、細川連立政権が誕生した。 当時若くして自民党総裁に選ばれた河野洋平氏と組閣前の細川護熙氏との論戦を聴きに行ったことがある。 細川、河野両家の若いおぼっちゃま同志のやりとりはスマートではあったが、とても政治家の論戦とは言えず、ただのトークショーに過ぎなかった。 マスコミは55年体制終焉ともて囃したが、それまでの熾烈な政治家の権力闘争を見てきた目にはいかにも軽々しく映った。 これで大丈夫かなと心配になった。 その不安が的中し、今の政治弱体化に至っている。 ブッシュ大統領の8年間に首相が6人も替わる体たらくだ。

 こうなった原因や理由はいろいろあろうが、一番の問題は世襲政治だろう。 その発端になった細川にしろ河野にしろ、絵に描いたような二代目、三代目である。 細川は戦前の近衛文麿首相の孫。 河野は戦後政治に辣腕をふるった河野一郎の息子だ。 細川は祖父の貴族出の近衛首相に似て、口先ばかりで何も出来なかった。 彼のじいさんは軍部に振り回されておろおろしているうちに日本を戦争に追い込んだ。 孫はその後の日本政治弱体化の口火を切った。 河野洋平は保守の権化のようなオヤジの選挙地盤を受け継いだくせに、さっさとリベラルに転向し、従軍慰安婦問題に関するおかしな「河野談話」で国益を大いに損なった。 二人ともスマートなリベラルではあっても、1億2千万人の国民のトップに立ち、何としても日本の国益を守っていくという、国家指導者に最も必要な覚悟と信念に欠けている。

 その傾向はその後綿々と続く世襲政治に引き継がれている。 小泉以来、日本の首相はすべて世襲議員である。 こんなおかしな国は他にない。 閣僚を見ても二世三世議員のオンパレードだ。 テレビに登場する知名度の高い政治家もほとんどが二世だ。 さすがに民主党など野党には少ないが、それでも小沢代表も鳩山幹事長も二世三世議員の典型である。 アメリカもブッシュ家のように世襲大統領はいるが、あくまで例外であって、議会制民主主義を採っている先進国に世襲政治は見当たらない。 日本だけの珍現象だ。

 二世は子供の頃から政治の世界を見ているので、普通の国民より政治の知識があり、政治家としての世渡り術には長けている。 しかしそれは読み書きそろばんと同じで、政治家に必須の素養ではない。 後からいくらも学習可能だ。 政治家として最も重要なのは闘争心と政治に対する信念、哲学だろう。 二世政治家に欠けるのはこの点だ。 親の看板地盤を引き継いでいるから、なんの苦労もなく当選出来る。 当選しても順番を待てば役職が廻ってくると知っているから党内闘争もしない。 信念や哲学は闘争の中で磨かれる。 彼らにはそのチャンスがない。 だからいつまでたっても口だけ達者なでくの坊だ。 安部、福田、麻生がその見本だろう。 佐藤栄作首相の後、三角大福と言われた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の権力闘争は熾烈を極めた。 札束が乱れ飛び、金権政治と非難された。 しかしその厳しい権力闘争の中で政治家としての信念や覚悟が磨かれたことは確かだ。 彼らの政治は必ずしも妥当と言えるものばかりではなかったが、今のような脆弱さはなかった。

 要するに二世三世のおぼっちゃまには、政治ごっこは出来ても大国日本の舵取りは無理なのだ。 今の劣化した政治状況を正すには世襲政治排除が最も効果的だ。 方法は簡単。 公職選挙法で親族と同じ選挙区からの立候補を禁止すればいい。 イギリスに世襲政治家が出ないのはそう言う制度になっているからだと言われる。 親のふり見て政治を学んだメリットは生かしてもいいが、選挙という最も重要な政治闘争は一から一人でやるべきだ。 そうすれば骨太な政治家になれるだろう。 日本の政治ももう少し良くなるだろう。 公務員制度改革岳でなく、公職選挙法改正が焦眉の急だ。

 それにしても親の地盤を引き継いだだけのおぼっちゃまに、考えもせず投票する愚民どももどうにかならんものか。                       

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