【伝蔵荘日誌】

2009年1月23日: オバマ大統領就任式を見て思うこと T.G.

 旅行先から帰宅してテレビを点けると、オバマ大統領就任式のニュース一色である。 どの局も自分の国の総理就任では聞いたこともない美辞麗句のオンパレード。 マイノリティ出身の若い大統領と言うご祝儀相場は割り引いても、他国の大統領就任にいささか浮かれすぎではないか。 彼に比べて日本の首相がどれほど劣るというのか。 まあ、演説の上手さは比べようもないが、政治は口ではなく結果なのだ。 歴代アメリカ大統領政治の結果が、日本より優れているとも思えない。

 就任式の光景を見ていて気になったのは、集まった200万人の群衆の半数以上が黒人であることだ。 映像を見ると7割近くが黒人やヒスパニックで、白人の姿はちらほらしか見えない。 歴代大統領就任式で最も人出が多かったのはジョンソン大統領の125万人だそうで、その倍近い人数である。 前ブッシュの時はわずか30万人だったという。 ワシントンDCを訪れた人なら分かるが、あの小さな街に200万人集まること自体がいかにも異常だ。 その半数以上が黒人であることも。 マイノリティの名が示す通り、黒人はアメリカの人口の12%に過ぎない。 若くて知性あふれた大統領の出現に浮かれる気持ちは分からないでもないが、いかにも浮かれすぎ。 反動が気懸かりだ。 オバマ圧勝と言っても、実際の獲得票数は過半数を少し上回っただけ。 依然として黒人大統領を喜ばない白人保守勢力は大きい。 あまりにお祭り騒ぎが過ぎると、“押さつけられた声なきマジョリティ”の不満が爆発するだろう。 あの国は自由と民主主義を標榜しているが、あくまで表向きの話で、実際は不条理な覇権主義とバイオレンスに支配された国であることは歴史が証明している。 オバマが大統領である間、ホワイトハウスの最大の関心事は暗殺だろう。

 今の混乱した世界情勢で、アメリカ国民のみならず世界中が彼の政治手腕に期待し、固唾を飲んで見ている。 オバマにとって緊急かつ際だって困難な課題が二つある。 第一の課題はアメリカ経済の立て直しだ。 オバマ政権はすでに74兆円の経済対策を打ち出しているが、この国のGDPと比較していかにも少なすぎる。 焼け石に水、たいした効果はないだろう。 内容も金額もルーズベルト大統領のニューディール政策を模しているようだが、あの時も世界恐慌からの回復に効果がなかった。 アメリカが最終的に恐慌から立ち直ったのは第二次世界大戦の軍需によるケインズ的経済効果によるもので、現在の貨幣価値に換算して300兆円を越えると言われる。 今回もそのぐらいの規模の景気刺激策でないと効果はないだろう。 その74兆円にしても、今のアメリカに金があるわけではない。 国債を発行するしかないが、買える余力があるのは中国と日本だけ。 このご時世、中国だって素直に買うはずがない。 日本もすぐ紙切れになるような国債なんか買う義理はない。 しかしせっぱ詰まったオバマは日本を恫喝して買わせるだろう。 腰抜け日本は応じるだろう。 憂鬱な話だ。

 74兆円の経済対策にしてもとりあえずの応急処置に過ぎず、アメリカ経済混迷の本質を正せるわけではない。 今の混乱は行き過ぎた金融市場主義が招いたものだが、見るところオバマ大統領にそれを抜本的に是正する意欲も見識も胆力もあるようには見えない。 就任演説を聞いても、そのことには一言も触れていない。 最も必要で困難な課題を美辞麗句で素通りしている。 アメリカ国民は毎年自分の稼ぎより100兆円も多い金を浪費して来た。 すべてインチキ金融工学が生み出した借金だ。 行き過ぎた金融制度を是正しなければアメリカ経済は立ち直れないが、そうしたらアメリカ国民は今までより100兆円も節約した生活を余儀なくされる。 一度憶えた生活水準を下げるのは至難の業だ。 暴動が起きかねない。 アメリカ経済の状況はまさに“前門の虎、後門の狼”なのだ。

 もう一つの課題は戦争である。 オバマは選挙戦の最中からイラク撤兵と、それに代わるアフガンへの増派を公約に掲げている。 いくら考えても、“イラクは駄目だがアフガンならいいという理屈”が分からない。 オバマといえど、アメリカ大統領としては中東への軍事介入を全否定出来ない。 うがった見方をすれば、イラク撤兵は選挙戦で共和党を叩く攻撃材料でしかなかった。 その代わりがアフガンだ。 朝三暮四というか、「東京が駄目なら名古屋があるさ」式のご都合主義である。 アメリカ国民は狙公にころっと騙された猿と同じだ。
 だってそうだろう。 アフガンはイラクやイランのような反アメリカを標榜したテロ国家ではないし、大量破壊兵器やフセイン専制排除という“三分の理”があるわけでもない。 テロを支援する勢力が逃げ込んでいるだけだ。 非正規軍とのゲリラ戦の難しさはイラクで身に凍みているはずだ。 そんな国へイラク以上の大部隊を投入して何をしようと言うのか。 アルカイダやタリバンなど、テロ集団は国家ではない。 アフガンから追い出しても、イラクやパキスタンに逃げるだけだ。

 オバマが今の経済大混乱から抜け出すには、最終的にはルーズベルトと同じく戦争特需に頼るしかないだろう。 何と言っても戦争は最大の公共工事である。 ルーズベルトは真珠湾攻撃の第一報を聞いて、してやったりと笑みを浮かべたそうだ。 イラク派兵をやめたらアメリカ経済は浮かび上がれない。 その代わりがアフガンなのだ。 アフガンには海も資源もない。 国土の大半は険しい山岳地帯。 中東では地政学的に一番難しい国である。 かって七つの海を支配していた頃の大英帝国が植民地化を試みたが、失敗しほうほうの体で引き上げた。 最後に撤収した部隊は命からがら国外脱出したという。 1979年、ソビエト連邦がインド洋への南下を狙い、大軍と最新兵器を率いてアフガンに侵攻したが、山岳地帯に潜むゲリラに翻弄されて88年に撤退した。 ソ連のような超大国の軍事力を持ってしてもアフガン支配はかなわなかったのだ。 オバマはあの国のそう言う歴史を承知の上でアフガン派兵を言うのだろうか。  アメリカ国民は歴史に関心がない。 この若き国家指導者も大学で歴史を学ばなかったに違いない。 2年後、オバマのアメリカは、かってのイギリス、ソ連と同じく、アフガンの泥沼に嵌り込むことになるだろう。 日本はあれこれ理由を付けて、この問題からは出来る限り距離を置く外交を行うべきだ。

 就任演説は確かに素晴らしかった。 漢字も読めない口べたな日本の政治家は足元にも及ばない。 聞くところによると弱冠27才のスピーチライターが書いたものだという。 他人の代筆だったとしても、身振りや語り口の上手さはまさに名演説だった。 至る所にリンカーンやケネディの名演説を意識した言い回しが出てくる。 歴史に残る名演説を残したリンカーンとケネディは、就任中に暗殺された。 行き過ぎた理想主義がこの国の“奥の院”の虎の尾を踏んだのだ。 はたして“二度あることは三度ある”のだろうか。         

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