2009年1月11日: 派遣切り騒動 T.G. ![]() 議論のキーワードを挙げると次のようだ。 ・派遣法の再改正…派遣法を99年まで戻し製造業への派遣禁止、もしくは86年まで戻し撤廃 ・ワークシェアリング ・大企業の内部留保で雇用確保 ・役員給与、投資、配当を減らし雇用確保 ・派遣業への適正な規制、行政指導 ・… これらの問題は複雑に絡み合っていて、その適否、善し悪しは一概に言えない。 派遣法が生まれたのは86年だが対象業務は限定されていた。 2004年に小泉内閣が改正し、一般製造業まで派遣を拡大したのが今の騒ぎの元凶である。 それ以前から偽装請負という犯罪に等しい悪慣例があって、事実上派遣は横行していた。 04年の改正はそれを追認したものである。 経営側とつるんだ竹中ら新自由主義者達にそそのかされたものだが、当時中国の安い労働力に押しまくられ、工場の海外移転が進み、国全体が産業空洞化の恐怖に脅えていたことが基本的動機である。 国会でも与野党大多数の賛成で成立した。 あれから6年、すでに100万人を超す派遣労働者がいるのに、今さら急に単純な派遣禁止は出来ない。 どうやら自民、民主は派遣法再改正に傾いているようだが、ぬるい風呂の温度を急に上げたら、皆飛び出して誰もいなくなってしまう。 派遣法を04年以前に戻すならそれなりの労働環境と法制度の整備が不可欠だ。 ![]() ワークシェアリングは一筋縄ではいかない難しい問題だ。 早い話、給与水準の引き下げである。 ワークシェアリングなどと言うからもっともらしく聞こえるが、実態は“賃金シェアリング”、つまり賃下げなのだ。 誰しも既得権益は手放したくない。 非正社員が気の毒と思っても、自分の仕事と給料を進んで分けてあげる正社員などいない。 しっかりした雇用慣習や雇用関係法の支えも無しに手を付けたら、経団連が狙っている賃金引き下げの片棒担ぐのと同じ。 格差が拡散するだけで、より悲惨なことになるだろう。 準備もなしに派遣自由化した今の派遣法よりたちが悪い。 ワークシェアリングはオランダのように国民がそこそこの生活で良しとする“たそがれ国家”での話だ。 「企業の内部留保を吐き出して雇用確保を」などと言うのは、経営のなんたるかをまったく知らない暴論である。 少なくとも天下の国会議員が言うことではない。 内部留保は景気変動に耐える企業体力を維持し、将来的な開発投資に備えるための資産だ。 これなくして企業の存続はあり得ない。 内部留保はあぶく銭ではない。 企業が営々努力し、将来に備えて税引き後の利益から積み立てたものだ。 仕事もないのにこれを吐き出して人を雇えなどというのは、金の卵を産む鶏の腹を割いて卵を取り出せと言うようなもの。 経営をやめろと言うに等しい。 共産党のようなわけの分からぬ社会主義政党が言うのはともかく、少なくとも自民党や民主党が言うことではない。 派遣切りの前に役員給与、投資、配当を減らせと言う主張はそれ以上に次元が低い。 日本企業の役員はアメリカの金融会社やビッグスリーのように超高給をもらっているわけではない。 1兆円企業の社長でも平均年収1億円以下だろう。 責任の大きさに比べて安すぎるぐらいだ。 これを半分に減らしても、雇用などたかがしれている。 成功者を妬む庶民感情ならともかく、国会議員の言うことではない。 投資を減らして雇用に廻すのは必ずしも悪いことではないが、その時々の経営判断による。 今がそのときとは思えない。 今のご時世、雇用も大事だが、国家としての競争力維持はそれ以上に重要だ。 配当を減らしたら株価が下がる。 それを計算に入れない議論は不毛だ。 もしそう主張するなら、「株価を下げても雇用を」と言うべきだ。 雇用もさることながら、今の日本経済にとって最も深刻な問題は株価の下落なのだ。 こういう議論を聞かされると、今頃の国会議員の見識の低さに暗然とする。 ![]() この日誌を書いている途中で新聞を見たら、朝日が「派遣切り、限界集落…そこに「共産党」―ルポにっぽん」という共産党の提灯持ち記事を載せている。 派遣切りや限界集落問題に共産党が如何に取り組んでいるかという、テレビと同じ無内容な宣伝記事である。 赤旗ではあるまいし、いったいこの新聞は何を考えているのだろう。 |