【伝蔵荘日誌】

2009年1月 2日: 今年の初詣 T.G.

 孫娘を連れて、近くの浅間神社に初詣に行く。 家から300m程離れた所にあるごく小さな神社だ。 若い子供連れの夫婦ひと組以外他に参拝客はいない。 普段は人気もなく荒れ果てているが、正月だけは近くの氏子達が境内を掃き清め、注連飾りも新調してある。 お賽銭を放り込み、孫に二礼二拍手の作法を教えながら一緒に拝む。 参拝客でごった返す有名神社とは違った風情がある。 これが本来の初詣なのかもしれない。

 この辺りは荒川下流域の農村地帯で、少し歩くと小さな神社やお寺があちこちに散在している。 いずれも田舎の無名の神社仏閣だが、一昔前までは地域の農村の暮らしに密着していた。 今は周囲に無秩序な開発の手が及び、気息奄々の風である。 それでもお寺は冠婚葬祭ビジネスがあるから何とか保っているが、そういう支えのない神社は荒れ果てる一方だ。 昔は地域のお祭りは神社が中心だったが、今では団地の自治会のイベントに成り下がっていて、神社の出る幕はない。 初詣以外、誰も寄りつかない。
    
 この神社も裏手は大手安売りスーパーの建物が覆い被さり、右手には敷地ぎりぎりまで民間のマッチ箱住宅が押し寄せている。 暮から新たなマッチ箱の建築が始まった。 昔は神社の敷地だったのだろうが、どういう経緯か幅5m程削られ、民間業者の手に渡っている。 敷地が狭いので、細長い三階建てにして神社の境内に覆い被さるような作りである。 春頃には周りを壁で塞がれた情けない鎮守の森になっているだろう。

 この武蔵野の田園地帯には30年ぐらい前までは雑木林や欅の巨木がたくさん残っていた。 その後、開発とも呼べない無秩序な工事が至る所で繰り返され、雑木林も欅の大木も切り倒された。 今では乱雑で無機質な街に変貌している。 たまにこんもりした林を見かけると、それらはすべて例外なく神社である。 墓地ビジネス拡張のために立ち木を切り払っているので、お寺さんには樹木はない。 かろうじて残された鎮守の森が無くなったら、この辺り一帯は風情も何もない砂漠のような町並みになるだろう。

 敗戦後、GHQの命令で日本古来の神道が否定され、神社の荒廃が進んだ。 人々の神道に関する意識や習慣は薄らぎ、神社は初詣と観光の出し物に過ぎなくなった。 もともとは地域住民はすべて神社の氏子だったのだが、そういう日本古来の宗教文化は廃れてしまった。 今では紋付き羽織袴と角隠しの神前結婚なんて誰もやらない。 三三九度の杯なんて若い人には死語に近い。 ウェディングドレスで、信仰も持たない異教の教会で、牧師さんに片言の日本語で結婚を認められて喜んでいる始末だ。 軽薄と言うほか無い。 観光で成り立つ大手有名神社は法人化され、バックに神社本庁などが控えているのだろうが、この神社のような田舎の無名の小規模神社はどういう経営が成されているのだろう。

 通りがかりに氏子の一人と立ち話をしたことがある。 近くに住む農家のお年寄りである。 彼の話では境内にある欅のご神木に材木業者から500万円の値が付き、売却の話が持ち上がっているという。 樹齢約400年、幹廻り10m近い、この一帯で一番の巨木である。 遠くからも大きく広がった梢が見える。 これが僅か500万円とはいかにも勿体ない。 今のところお年寄り衆が反対なので売る話はないが、若い人に代が移ったら多分売られてしまうだろうと言う。 周りを取り囲んだマッチ箱の住民から、枯れ枝や落ち葉が迷惑だとしばしばクレームが出され、困り果てているという。 承知の上で住んだくせに、今さら何を言っているのか。 神様を何と思っているのか。 まったく罰当たりな話だ。 境内にある古びた小さな社務所は今にも壊れそうだが、立て替える金も動機もない。 いずれこの神社もなくなるでしょうと、淋しそうに話していた。 鎮守の森は都市部では残り少ない緑地である。 今はやりのエコの絶好のシンボルにもなりそうなのに、そう言う声は聞こえてこない。 神社を大事にせず、神様をないがしろにする日本人には、いずれ天罰が下りそうだ。   

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