【伝蔵荘日誌】

2008年11月23日: 六畳一間のアパート暮らし T.G.

 元厚労相事務次官殺害犯人がのこのこ現れて自首した。 捕らえてみれば思想背景も何もない単なる粗暴犯。 やれ政治テロだとか戦前の5.15事件の再来だとか、テレビでもっともらしい解説をしていた評論家達は形無しである。 あの連中、これから先テレビでどういう言い訳をするのだろうか。 人の生き様は、頭でっかちの浅はかな想像力を越えていると言うことだ。

 それはさておき、テレビに映された容疑者のアパートを見て、以前ほんの短い間暮らした安アパートを思い出した。 8年前、家を建て替えたときの仮住まいだが、テレビで見る容疑者のアパートとそっくりである。 いかにも安普請の二階建て、上下2世帯ずつの4世帯、6畳に小さな台所だけの貧弱な間取り。 家賃が月6万と言うのも同じである。 どうせ短期間の仮住まいと、家賃をケチったのがいけなかった。 クーラーもないトタン屋根の二階で過ごしたひと夏はまさに焦熱地獄。 まだ現役の頃で、夜睡眠が取れず、盛夏の半月は仕事に差し支えた。 やっと家が完成し、業者から引き渡しを受けたその晩、とりあえず布団だけ持ち込んでエアコンを掛けた部屋で寝たときは生き返る思いがした。 「一時のことと分かっていたから我慢出来たが、あの生活を抜け出せなかったらどんな気持ちだろう」と家人が述懐した。 そんな感慨を家人が持ったのは、寝苦しかった夏の夜のためだけではない。 共に暮らした残り3世帯の暮らしぶりに思いを馳せたからだ。

 我々の下の階には70代とおぼしき老婆と、その息子と思われる40代ぐらいの男性が住んでいた。 どうやら男性は強度の知的障害者らしく、日がな部屋に閉じこもり切りであった。 それだけならいいが、昼でも夜中でも突如として奇声を発し、壁や天井をたたきながら部屋の中をどたばた歩き回る。 初めは何ごとかと驚いて、寝ている布団から飛び起きた。 何度か続くうちに慣れたが、日中一人でいる家人はかなり不安だったらしい。 いきなり階段を駆け上がってきてドアを叩かれたらどうしようと心配したと言う。 5ヶ月暮らした間、そう言うことは一度もなかったが、この母子の暮らしぶりを見ていると気の毒になった。 月に何度か、近くの養護施設の人が介護に訪れたが、それ以外の毎日の生活は母親が一人で世話をしていた。 たまに見かけると、彼女の方が介護が必要に思える年格好だった。 暮らしぶりは分からないが、様子から見てここでの生活を抜け出すのはたやすくないように見えた。 お婆さんが寝込んだりしたらこの先どうなるのだろうと、人ごとながら気になった。 それ以上に、この年老いた母親が過ごしてきた長く辛い年月を想像すると胸が塞がる思いがした。

 右隣の二階には、30代ぐらいの若い父親と小さな女の子二人の三人家族が住んでいた。 母親を一度も見かけたことがない。 おそらく離婚した男やもめなのだろう。 父親は昼間仕事に出掛けてしまう。 まだ学齢期に達しない年頃の幼子だったが、幼稚園や保育園に通っている様子は見えなかった。 夕方、父親が帰ってくるのを待ちながら、上の子が下の子を階段下の車置き場で遊ばせているのを時々見かけた。 暗くなって父親が帰ってきた後も、安アパートの薄っぺらな壁を通して隣の部屋から子供らしい騒ぎ声が聞こえることはなかった。 父親と二人の幼子はどんな淋しい毎日を過ごしていたのだろうか。 思い出しても切ない。 どんな事情か知らないが、こんな幼子をほったらかして、母親は何処で何をしているのだろう。 見かねた家人がやきもきしたが、事情も分からぬ一時の仮住まい。 出来心の同情心ではどうしようもなく、そのままにしていた。 あの幼子達は今では中学生ぐらいの年齢だろう。 どうしているのだろうか。 今思い出しても胸が痛む。 

 その下の階には日系ブラジル人の、父親と息子とおぼしき二人家族が住んでいた。 女っ気はなかった。 母親や兄弟を国へ置いて出稼ぎに来たのだろう。 たまに顔を合わせることがあったが、お互い会釈するぐらいで言葉を交わしたことはなかった。 比較的物静かな家族だったが、時折同じブラジル人とおぼしき友人達が訪れて、狭い車置き場にコンロを持ち出し、ブラジル式バーベキュウで騒ぐことがあった。 最初はこれが明け方まで続いたらどうしようと心配したが、夜10時を過ぎるとポルトガル語の騒ぎはぴたっとおさまるのが常だった。 おそらく近くの工場で働く出稼ぎ労働者仲間だったのだろう。 言葉も通じない異国での侘びしい生活を紛らわせていたのだろう。 昨今の不況で外国人労働者の働き口が狭まっていると言うが、あの父子は今頃どうしているのだろうか。

 まさに人生の縮図を見るようだった。 容疑者小泉某のアパートにも、おそらく似たような境遇の世帯が住んでいるのだろう。 同じ様ないかにも安普請のアパートを至るところで見かける。 そこには同じ様ないろいろな生き様があるに違いない。 ほとんどが、たまに愚痴をこぼすことはあっても、毎日を律儀に暮らしているのだろう。 我々“訳あり4世帯”も、没交渉ではあったが、隣人同士互いに迷惑も掛けず平穏に過ごしていた。 昨今の軽薄な流行語に言う“格差社会”とは別の意味の、それぞれの重い人生だ。 仮にあの3世帯にあと少しの収入があったとしても、置かれた境遇や事情に大差があるわけではなかろうし、こちらの心配とは関わりなく、彼ら自身はこれが人生と思って懸命に暮らしていたに違いない。 同じ様な暮らし方をしながら、何が気に入らないのか、見も知らぬ老人2人を刺し殺した小泉某と言う男は、実に了見の狭い奴だ。 近頃こういう愚かな男の似たような犯罪が多いが、どういうふうに育てるとこういう出来損ないの化け物のような人間が出来上がるのだろう。              

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