【伝蔵荘日誌】

2008年11月16日: 田母神論文に思うこと T.G.

 以前、仕事で航空自衛隊の府中基地に出入りしていたことがある。 府中基地は警戒管制システム、バッジや気象予報コンピュータなどハイテク装備が設置された航空自衛隊の中枢である。 バッジシステムは巨大コンピュータネットワークで、日本各地に散在するレーダーサイトを情報端末に使い、空の守りをコントロールしている。 戦闘機のスクランブル(緊急発進)はこのシステムが発する指令を元に運用される。 多くの日本人は防衛装備というとイージス艦やF15戦闘機などを思い浮かべるが、近代戦争はそう言う直接兵器だけでは戦えない。 高度なデジタルネットワークが根幹である。

 府中基地で仕事を済ませた後、挨拶のため担当将官の部屋を表敬訪問した。 昔の兵隊の位で言うと大将である。 世が世なら、我々しがないサラリーマンがたやすく口をきける相手ではない。 航空自衛隊のトップエリートであるF15イーグル戦闘機乗りだったことを示す紋章が壁に貼ってある。 しばらく話していたら、これから外出しますのでと言って着替えを始めた。 制服を普通のサラリーマンのようなスーツ姿に着替える。 我々の方を向いて、自衛隊なんてこんなものですよ、と自嘲気味に言う。 聞くと、別に法で制約されているわけではないが、自衛隊員が外を歩くときは制服を脱いで一般市民と同じ格好をする慣習なのだという。 いまだ軍隊アレルギーの強い日本社会の中で、自衛隊の存在を表に出さぬよう自重しているのだという。 そう言えば、府中駅から乗る京王線の電車の中で制服姿の自衛官を見かけたことがない。 いや、日本中どこでも見かけることがない。

 92年、湾岸戦争直後にワシントンDCに出張した時、戦勝パレードをやっているのにぶつかった。 国会議事堂からリンカーン記念堂までの広大なモールに、湾岸戦争で使ったありとあらゆる兵器が所狭しと並べてあり、観光客や一般市民で黒山の人だかりである。 湾岸戦で名を馳せたパトリオットミサイルやアパッチヘリや、どうやって運んだのかF16戦闘機まで置いてある。 おそらく近くのワシントン空港から牽引してきたのだろう。 無いのは航空母艦ぐらいだ。 大勢の市民に混じって見学したが、案内役の迷彩服の兵士達が礼儀正しく懇切丁寧に説明してくれる。 目を輝かした男の子が乗りたいとせがむと、抱え上げてアパッチヘリや戦車の操縦席に乗せてくれる。 見ていて痛感したのは、アメリカの軍人さんはおしなべてアメリカ社会の尊敬を受けているということだ。 一般市民が迷彩服を着た説明役の兵士に接する態度でそれが分かる。 男の子の兵士を見る目つきは、憧れのヒーローを見る目だ。 日本のように、制服姿を異様なものと蔑視するような視線は皆無だし、税金泥棒などと言う罵詈雑言はもちろん一切聞こえない。 日本に比べ、軍人に対する社会の認識、尊敬度の違いを思い知らされた。

 今朝のテレビ朝日のサンデープロジェクトで、問題になっている田母神論文の話になった。 歴史認識と安全保障問題に関して航空自衛隊の最高司令官が問題提起した私的論文である。 この半月、さんざんマスコミで叩かれた後で、特に新味のある話題にはならなったが、元自衛隊幹部の政治評論家と元朝日新聞記者の軍事評論家の議論はお互い上滑りで、まるで噛み合わない。 本質からずれた言い合い、罵り合いは、これまで繰り返された無意味な空騒ぎと同じである。 先日の防衛外交委員会でも、せっかく田母神氏本人を呼びつけておいて、野党の質問も大臣の答弁も実に的はずれだった。 社民党の質問者など、「あなたは集団的自衛権を認めるべきと思っているのか」などと聞くも愚かな追求をし、参考人の田母神氏に「思っていますと」あっさりいなされてお終い。 後が続かない。 何のために大騒ぎをして田母神氏の参考人招致を求めたのだろうか。 浅はかと言うほかない。

 問題となった田母神論文をつぶさに読んでみたが、それほどおかしなことは書いていない。 明らかに間違いと分かる暴論を述べているわけでもない。 一部のリベラル新聞が小学生並みと嘲ったほど根拠不明、論旨曖昧でもない。 それなりに筋は通っている。 史実について両論併記せず、自説に好都合な根拠を選んでいる傾向はあるが、字数の限られた小論文であれば致し方ないことだ。 他のこの種の文章にも、これ以上に偏ったものがいくらもある。 特にリベラル左派系のものに多い。 沖縄戦における住民集団自決について書いた大江健三郎の「沖縄ノート」など、孫引きどころか又聞き、伝聞のオンパレードだ。 大江氏はこの著作を書くに当たって、一度も沖縄を訪れたことがないと、自ら沖縄を訪れて同じテーマで取材した曾野綾子氏が批判している。
 田母神論文についてあえて言えば、「日本が侵略国家というのは濡れ衣」などという言わずもがなの捨てぜりふで最後を締めくくっているのが唯一の欠点、画竜点睛を欠いた。 これがなければ、論拠を示した上での冷静客観的な記述に、野党やマスコミの攻撃も矛先が鈍ったに違いない。 ヒステリックな罵詈雑言を浴びせるマスコミや評論家達が、この論文をきちんと読んでいるようには思えない。

 問題にすべきは論文内容の正否ではなく、歴史認識と国家安全保障に関わるシリアスでセンシティブなテーマについて、なぜ現職の航空幕僚長と言う国防の要職にある人物が書いたかと言うことだろう。 田母神論文に書かれている歴史認識について、おおむね理解出来るが、これを世界有数の軍隊の最高司令官が書いてはいけない。 また書かせてはいけない。 軍人というものはすべからく上官の命令には無条件に従うべき職業である。 上官が右と言ったら右、黒を白と言われたら白でなければならない。 軍人は指揮命令の無条件絶対服従を条件に、大量殺戮も可能な暴力装置の使用を任されている。 個人的信条で上官の命令に異を唱えていたら軍隊組織は成り立たない。 その意味で、例え私的論文であろうと、最高司令官である総理大臣見解に空幕長という立場で異論を唱えるのは大間違い。 了見違いも甚だしい。 例えそれが正論であったとしても。

 しかし彼にこれを書かせた動機や背景は痛いほど分かる。 国防を担いながら街を制服で歩くことを自制させられ、税金泥棒と罵られ、いざとなるとイラクのような危険地帯に丸腰で赴かされる。 あげくに相手が撃ってくるまでささやかな銃器の使用を禁じられる。 世の中は自衛官という職業を忌まわしいものを見るような蔑みの目で見る。 そういういわれない屈辱感に長年曝され続けたことの反発が書かせたのだろう。 自衛隊は紛れもない軍隊で、日本国の防衛を担っているのに、リベラル新聞や社民党など野党は、ことあるたびに憲法違反だと貶める。 世間もそれに踊らされて浅薄な自衛隊批判をする。 だからいまだに軍隊であると誇らしげに言えない。 憲法も行政も世界の常識である集団的自衛権を否定し、まともな軍事議論を封殺する。 核議論をしただけで非国民扱いされる。 漁船にぶつかったイージス艦など袋だたきだ。 そんなに軍隊が嫌いなら、いっそのこと自衛隊など持たなければいい。 憲法にもそうはっきり書いてあるのだから。

 この論文募集には百人近い自衛官が応募したという。 よくない兆候と言わねばならない。 戦前の2.26事件や5.15事件は、政治腐敗に不満を鬱積させた青年将校と兵士が起こした。 その小さな動きがやがて大河となって国を滅ぼした。 今回の騒動の根本原因は、平和憲法の威を借りて歴史認識を歪め、紛れもない軍隊である自衛隊を必要悪と貶め続けてきた無責任な政治や世論にあるだろう。 今回の動きを一方的に非難、封殺するだけでは、戦前と同じ様な愚かな流れを生みだしかねない。 民主主義教育が行き渡った戦後日本でクーデターはなかろうが、国家安全保障論議がより不健全なものになり、世界情勢に対応不能になる可能性は高い。 その意味でも早急に合理的な憲法改正を行い、自衛隊を軍隊と認め、健全で理性的な安全保障論議を始めるべき時に来ている。 戦後60年、日本国民はしっかり民主主義教育を受けてきた。 憲法改正したからと言って、戦前のような不合理な軍事国家に戻るわけではない。 日本人はもっと自信を持つべきだ。

 番組の中で、田岡という元朝日記者の軍事評論家が、「憲法9条や村山談話や政府見解を知っての上で自衛隊に入ったのだから、彼らに歴史認識についてつべこべ言う権利はない。」と言い放った。 こういうわけの分からぬリベラルジャーナリズムが世の中をおかしくしているのだろう。     

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