伝蔵荘日誌

2008年11月4日: クリス・コナーの「グッドバイ」を聴く。 T.G.

 久し振りに古いCDを引っ張り出して、クリス・コナーの「グッドバイ」を聴く。収録されているスタンダードナンバー10曲の内の最後の曲。ハンク・ジョーンズ・トリオの小粋な演奏をバックに、抑え気味のハスキーな低音でしみじみと歌う。情感にあふれた実にいい歌だ。この歌は男に振られた女の嘆き節、一種のアメリカ製演歌である。夜更けにスコッチのオンザロックでも傾けながら聴くと実に泣ける。日本ならさしずめ八代亜紀というところか。

  あなたのことは決して忘れない
  あの日お互いが愛し合って、
  永遠にさよならは言わないと誓ってくれたことを、決して忘れない
  ……
  でもそれはずいぶん前のこと
  私は知っているの、あなたがもう私のことを忘れてしまったのを
  今ではお互い別々の道を行く
  それも悪くはないわね
  どうか行ってしまう前にもう一度キスして、
  そしてさようなら(Good bye)を言って

 ジャズを聴き始めて20年になる。今でも憶えているが、レコードショップで何気なく買った廉価版CDでレイ・ブライアントの「黄金の耳飾(Golden Earrings)」を聴いたときの驚きは忘れられない。それまではクラシック音楽しか聴かなかった。ステレオ録音が始まる前の1957年に収録された演奏で、バランスも音質も決してよくない音源なのだが、ビートのきいたベースに乗せてブライアントのピアノが奏でる4ビートの即興演奏がまさしくジャズ。題名の Golden Earrings は古い東欧の民謡だと言うが、最初に日本人好みの哀切な短調のメロディーを繰り返した後、ややテンポをおいて即興演奏に移る。この切り返しのスリリングさがたまらない。実に新鮮な感じで、それまで聞いていた音楽とはまったく違った。それまではクラシック音楽一辺倒で、それも大方がモーツアルト、バッハ、ヘンデル。ラックにはそういったレコードしかなかったが、これを聴いていっぺんにジャズに取り付かれた。

 その後、レコードショップに通い、ビバップからモダンジャズまで、名演奏と言われるジャズCDを買い漁り、ひたすら聴いた。バド・パウエル、セロニアス・モンク、ケニー・バレル、ディブ・ブルーベック、マイルス・デビス、MJQ、ビル・エバンス、などである。これらのビッグネームに比較して、レイ・ブライアンはいわば二流のジャズピアニストだと言うことを後になって知った。10年ほど前、アメリカ出張の飛行機で偶然レイ・ブライアントと乗り合わせた。青山のブルーノートにでも来日していたのだろう。よほどサインを貰いに行こうかと思ったが、いい歳をしてサインでもあるまいと思いとどまった。その後しばらくして亡くなったと聞き、いささか後悔した。

 常々ジャズは文明後進国のアメリカが生み出した唯一の文化だと思っている。アメリカには歴史と文化がない。文化はすべてヨーロッパからの借り物だ。ニューオリンズの虐げられた黒人達の音楽を発展、昇華させたのが今のジャズである。40年代のビバップから50〜60年代のモダンジャズに至って演奏技術や音楽性が高まり、今ではヨーロッパのクラシック音楽に匹敵する芸術音楽の域に達している。創造性の最大の特徴はインプロビゼーション(即興性)だろう。決められたコード進行の中で、テーマの主旋律をベースに、各々の楽器演奏者が自由な発想で即興演奏を繰り返す。即興性の巧みさと創造性が演奏者のレベルと腕前を示す。今ではヨーロッパや日本、アジアにも広がり、世界の芸術音楽になっている。

 ジャズに比べてロックはどうにも好きになれない。ジャズから派生し、ジャズと並ぶアメリカンミュージックの双璧であるが、ハードロックはもちろんのこと、正直言ってビートルズなんていくら聴いてもどこがいいのかいまだに分からない。世界のビートルズをそんなふうに言うと叱られそうだから黙っているが、聴く気にならない。フォービートは好きなれても、エイトビートはどうにも駄目だ。かろうじて聴けるのはエレキギターの名人、エリック・クラプトンぐらいである。そう言えば、この二人(5人)はいずれもイギリス人だ。

 最近の若い人達はジャズを聴かない。うちの息子などもジャズは古くて退屈な音楽に聞こえるらしい。テレビやラジオから流れ出る音楽は、ほとんどがロックかロック崩れのポップミュージックだ。名前は忘れたが、以前シカゴ大学の偉い先生が文明の退化を論じる著作の中で、「ロックは音楽性の退化だ」と喝破したのを読んで我が意を得た思いがした。近頃はCDの売り上げが減って、ほとんどがiPodやスマホなどにダウンロードされる音楽だそうだ。あんな貧弱な再生装置で聴くに堪えるのは、“退化した音楽”だからに違いないと密かに思っている。古い人間の偏見と笑われそうなので、これも黙っているが。

             

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