【伝蔵荘日誌】

2008年10月20日: 岳はあっても学はなし T.G.

 「ロイヤル華」はヒマラヤの帰りにいつも立ち寄るカトマンズの日本料理店であるが、そこのご主人、戸張さんがご自分のホームページに「岳はあっても学はなし」という一文を載せられている。 内容は最近の大学山岳部の惨状についてである。 氏は50年前、大学山岳部に在席し、ヒマラヤを目指して「一人二人が(死んでも)なんだ」という過激な登山をされておられたと言う。 その後ヒマラヤに取り憑かれ、カトマンズに定住し、ロイヤル華の経営をされている。 昔お世話になった先輩のお見舞いで一時帰国し、久し振りで大学の山岳部を訪ねたら、かってはヒマラヤで鳴らした名門山岳部が部員わずか3人、内一人は外国人と知って愕然とされる。 最初のうち“大学山岳部の衰退は大学の巨大化や大学生の質の変化の故”と考えておられたようだが、いろいろ考察するうちに、“本当にそうなのか?”という疑問に突き当たられたようだ。 氏は結論として次のように書かれている。

 「山岳部は大学という学問の研究のフィールドの一部。 それをおろそかにしてきたために、こうなってしまった。 大学は研究の場であるのに、その大学に役立つことを何もしてこなかった。 岳ばかりで学はなかった。 それがこのような衰退を招いた。 大学山岳部は 「山(または賛)学部」 でなければならないはず。 にもかかわらず、われわれは、スポーツ・アルピニズムを唱えるだけで、思考を停止させていた。 「体育会原理主義」 のアルピニズムに取り憑かれ、衰退へ向かう歴史を作ってしまった。 そのような山岳部はいっそのこと廃部にして、新しく 「山学部?」 の設立を図ったらどうか。 大学だからこそできる、アカデミック・アルピニズム を目指したらどうか。」

 聞くところによると、氏が在席された大学だけでなく、今は亡き世界的登山家、植村直己氏が活躍された明治大学山岳部や早稲田、慶応などかっての名門山岳部が軒並み同じ状態なのだという。 今頃のヒマラヤ登山は、一部のプロフェッショナルの先鋭的活動か、金さえ払えばどうにでもなる商業登山ばかりで、エベレストなど、さしたる登山経験がなくても、数百万円出せばオンブにダッコで頂上まで引きづり上げてくれる時代である。 大学山岳部の体育会原理主義アルピニズムの出る幕はない。 こういうご時世で大学山岳部の惨状を憂えてみても仕方がない。 今は昔の話なのだ。

 我々も山岳部のような先鋭的登山活動はしなかったが、山好きが集まり、あちこち山に出掛けた。 最近50周年記念をやり、久し振りに大学の部室を訪問したら、まったく同じ状況であった。 この一文を読んで、戸張氏のHPに次のようなMail To:を差し上げた。

 戸張様
 「ご無沙汰しております。 ここ2年、ヒマラヤから足が遠のき、ロイヤル華にもご無沙汰しています。
 10月7日付けの「岳はあっても学はなし」読ませて頂きました。 先日我々TUWVの50周年行事をやりましたが、現役の部室を訪問したら、部員がわずかしかおらず、廃部寸前の状況でした。 聞くと、今の学生達は登山のようなきつくて辛い遊びは敬遠し、気楽に楽しめるサークルに流れてしまうのだそうです。
若い連中の覇気とバイタリティ欠如に暗然としておりましたが、これを読んでいくぶん納得がいきました。

 ご指摘の通りたしかに今までの大学の体育会系登山は、学問の府らしさが欠如していたように思います。 ただひたすら登るだけで、それ以上の幅も深みもない。 1958年の京都大学学士山岳会のチョゴリザ遠征について、隊長の文学部、桑原武夫教授が書かれた「チョゴリザ登頂」を読むと、単なる登攀記録に終わらず、キャラバン途中の村々の風景や人々との交流をフランス文学の大家らしい観察眼で書かれています。 ああいう文化の香りが大学山岳部を含めて今頃の登山には欠けているような気がしますね。

 これだけ豊かになった時代に、ただひたすら先鋭的登山を目ざす個人や団体は別として、大学の登山活動は多面的な付加価値をつけた“山学部”であるべきで、そうでなくては存在意義を失ったのかも知れません。
 ヒマラヤを歩いていると、山岳風景以外に、山麓のいろいろな風物や文化や人々の生活などに触れられるのも魅力です。若い学生達に、そう言う価値観でヒマラヤやチベットあたりを歩いてみたらどうかと奨めておきました。
 彼らがロイヤル華に立ち寄るようなことがありました節は、なにとぞよろしく。

                                             伝蔵荘主人敬白
                   

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