【伝蔵荘日誌】

2008年10月1日: 中山前国交大臣の失言 T.G.

 電車の中で中学生ぐらいの女の子と隣り合わせた。 座席に座ると日本史と書いたノートを取りだして勉強し始める。 多分試験前なのだろう、脇目もふらず、一心不乱に読んでいる。 最近は学校でどんなことを教えているのだろうと横から盗み読みして驚いた。 ちょうど明治初期あたりなのだが、書いてあることすべてが明治政府の暴虐ぶりについてなのだ。 綺麗な字で赤線など引いてあるところを見ると、先生の授業を几帳面にノートしたのだろう。

 まず、タイトルが「明治政府のたくらみ」である。 “たくらみ”とは何と悪意に満ちた表現なのだろう。 その後に続く記述は、大久保利通ら明治政府指導者が国民の声に耳を傾けず、天皇をたぶらかし、新聞や自由民権運動など言論を圧殺し、自分らに都合の良い国家体制に導いたと、年代順に事例をあげて縷々説明している。 良いことは何一つ書いてない。 例えば“有司法制”なる四文字熟語をあげ、「国民の声に耳を傾けず、自分たちに都合の良い政治をする仕組み」などと解説する。 天皇の詔勅に関しては、「自分たちのやりたいことを、天皇をだまして言わせ、権威づける」などと説明している。 そう言う悪意に満ちたネガティブ表現のオンパレードである。 明治政府が如何に悪逆非道な政治体制であったかという記述が延々と続く。 どんな左がかった教科書でもこんなに悪意に満ちた偏向記述はしない。 おそらく先生が黒板に書いた説明なのだろう。 こんな酷いことを教えられているのかと、ノートを一心不乱に読んでいる女の子が可哀相になった。

 最近の義務教育ではこんな馬鹿げた歴史教育がなされているのだろうか。 多分に左がかった日教組だから多少はと思っていたが、想像以上のひどさだ。 こんな歴史観を子供の頃からたたき込まれたら、子供達は自分の国に誇りや愛着など持ちようがない。 明治時代でこうなら、昭和史などさらに酷い教え方に違いない。 あたかもマフィアか暴力団が支配した暗黒時代のように教えるのだろう。 古代から現代に至るまで、すべての日本の歴史を悪と陰謀と暴虐の連続と断罪するのかもしれない。 我が国の歴史の中で比較的合理的であった明治時代をこれだけ悪く書いたら、良く書ける所など無くなる。 司馬遼太郎ならなんと言っただろうか。

 明治維新にも明治政府にも裏面はある。 時々の為政者に権謀術数はある。 何処の国の国家運営も単純な正義感やセンチメンタリズムで立ち行くはずがない。 それが歴史というものだ。 長い鎖国と封建社会からやっと抜け出し、列強の圧迫を受けながら国造りをした明治政府の苦しみや努力、歴史的意義をまったく教えず、些細な瑕疵や、やむを得ず採った方策だけをつぶさにあげて、あなた達はこんな酷い国に生まれたのだとくどくどと教え込む。 こういうことが長年にわたって、全国の学校で行われてきたと想像すると、驚きを越えて空恐ろしくなる。 日本の子供達は(そのなれの果ての大人達も)、長い学校生活の中でこういう歴史観をパブロフ犬のようにたたき込まれ、「日本=邪悪な国」、「政治=悪しきもの」が条件反射になっているのだろう。 そう言う子供や大人達が、一所懸命良い国を作ろうなどと思うわけがない。 今の政治的混乱や国民の浅薄な政治意識はここから生まれたのだろう。

 中山前国交大臣の“失言”が問題になっている。 特に日教組に関する発言部分が騒がしい。 野党や大方のマスコミ論評は大臣にあるまじき暴言と批判的だが、あるテレビ局が20歳以上男女を対象に世論調査をしたところ、「辞めるべき」48%、「辞める必要はない」45%で賛否が拮抗したという。 マスコミが期待した調査結果は賛否拮抗ではなかっただろうが。  この失言について、大方のマスコミや識者の見方は発足直後の麻生内閣にとって打撃だとか、次期衆院選に影響するとか否定的だが、昨日の日経オンラインの記事は別の見方をしていて面白い。 それによると、中山発言は愚かな失言ではなく、かなり確信犯的な“情報爆弾テロ”であり、メディアジャックであり、選挙というパワーポリティックスの面で賽の目が吉と出るか凶と出るか分からない、と言う。 あながち的はずれとも思えない。 事実国民の多くがこの“失言”で、普段マスコミがまったく報道しない日教組問題に意識を向けた。 潜在化していた日教組に対する疑念が顕在化した。 その日教組が社保庁問題で批判を浴びている自治労と並び、民主党の支持基盤であることにも気付かされた。 国民は学力低下やイジメや学級崩壊、さらには大分の教員採用試験汚職など、教育の現状に不信感を持ち始めている。 その矛先が日教組に向けられたことが前述の調査結果に現れているのだろう。 暴論か確信犯的爆弾テロかはさておき、少なくとも“中山失言”が日教組の歴史教育が改まるきっかけになれば、もって多とすべきだ。 政治にとって景気対策も大事だが、教育はそれ以上に重要、国家百年の計である。    

目次に戻る