2008年8月26日: やっと北京オリンピックが終わった。 T.G. ![]() チベット問題など、国内外からわき上がる非難の声をきっちり押さえ込み、日米首脳を始め諸外国のトップを北京に招き、一列に並ばせて一人ずつ順番に胡錦涛主席と握手させる、朝貢外交まがいの歓迎式典をやり、不自然とも言えるほどの金メダル数を獲得したことは、今の中国の力と勢いを感じさせる。 いくら人権団体が中国の人権問題を非難しても、アメリカ大統領も日本の首相も、それを無視して北京に馳せ参じなければならなかった。 外交は損得である。 両首脳ともそれが国益にかなうと判断したのだろう。 最も批判的だったフランスでさえ、数百機のエアバス購入キャンセルを匂わされたら、あの変わり者のサルコジ大統領が泡を食って北京に駆けつけた。 みっともない限りだが、中国の経済力の威力ではある。 この夜郎自大なやり口は、とても日本には真似が出来ない。 これだけの向かい風の中で、なんとかオリンピックを成功させたことは、中国共産党の統治能力の高さを示している。 古来中国の統治は難しかった。 どんな優れた皇帝でも、ほんの一部をせいぜい百年程度治め得ただけだ。 チベット、ウイグルまで拡張し、風船のように膨れきった人民と領土を何とか60年間維持し、いまだ経済成長を遂げている共産党一党独裁は、大多数の国民の幸福は別として、もしかすると中国にとって最適の政治形態なのかも知れない。 西欧型の自由平等や議会制民主主義はこの国には永久に根付かないだろう。 ![]() ![]() 予選で一勝も出来なかったサッカーは論外だ。 相も変わらずセットプレーや“華麗なパス回し”に終始し、ドリブル突破はおろかシュートも打たない。 サッカーはシュートしてナンボのゲームなのに、これでは勝ちようがない。 先年のワールドカップで、ゴールの真ん前でパスを受けた柳沢が、ゴールに蹴り込まずに味方にパスしたシーンを思い出した。 日本のサッカーの得点力が低いのは、技術より闘争心の欠如が原因だろう。 ![]() 男女マラソンの惨敗、不戦敗は、今の日本そのものの勢いの衰えを象徴しているようだ。 結果でなく実績を重視した不透明な選手選考と選手管理で選手をいじくり廻し、挙げ句の果てがあのざまでは、陸連は何をやっているのかと疑いたくなる。 徒競走には最も不向きな外反母趾の選手を代表に選ぶ神経も分からない。 おそらく陸連そのものが官僚化しているのだろう。 あんな事なら、決められたレースで一発勝負の勝者を選手に選んだ方がいい。 今の日本のスポーツ選手は、一発勝負で勝てる気力、精神力が最も欠けている。 それが中国、韓国との差だろう。 オリンピックや今の日本の低迷状況を見ていると、“唐様で、売り家と書く三代目”という江戸川柳を思い出す。 唐様とは教養人の書体という意味だ。 江戸の大店は無学だが逞しい一代目が創業し、働き者でしっかり者の二代目が大きくするが、生まれたときからなに不自由なく育てられた大店の三代目のおぼっちゃまは、教養はあるが商いが下手で潰してしまうと言う意味だ。 戦前の一代目が、多少無茶もやったが日本国を創り、戦後の二代目が脇目も振らずひたすら働いて経済大国にしたが、なに不自由なく甘やかして育てられた今の無気力な20代、30代が日本を駄目にする、と言う構図と重なる。 少なくとも現在の中国人、韓国人が持っていて、3,40年前には日本人も持っていた覇気や闘争心が、今の若い人達には欠けている。 それが文明の進歩であり、戦前のように他国を蹴落としてでもと言う闘争心は、今の進んだ日本には不要と言うなら話は別だが、まさに唐様で書く三代目。 これでは中国には対抗出来ない。 |