【伝蔵荘日誌】

2008年8月3日: 福田首相の内閣改造 T.G.

 やっと福田首相が内閣改造した。 麻生氏を幹事長に据えたのには驚いた。 あの二人はお互い水と油で、聞くところによると二人だけだと会話も成り立たない間柄らしい。 そうなると、頼む方も頼む方だが、引き受ける方も引き受ける方ということになる。 福田氏の方は完全な手詰まりだから何でもありだろうが、引き受けた麻生氏の判断がよく分からない。 もう歳だし、何をやっても自民党はお終いだから、最後ぐらい一緒にやろうと言うことだろうか。 これではまるで抱き寝の心中、情けないほどスケールの小さい話だ。 自民党の末期症状か。

 それにしても今の自民党はひどい人材不足だ。 一昔前なら、福田のオヤジとか、田中角栄とか、三木、大平、中曽根とか、総理大臣になりたくて仕方がない、ぎらぎらした顔つきの政治家がたくさんいたものだが、いまはそう言う気概のある政治家はいない。 せいぜい陣笠大臣になりたくてちょこまか画策する小物ばかりだ。 いただけないのは郵政民営化に反対、離党した二人を起用していることである。 今頃こんなことをするなら、あのとき福田氏自身が郵政民営化に一言あって然るべきだった。 政治には術策があってもいいが、基本的な所でぶれてはいけない。
 中でも野田聖子氏を起用したのには失望した。 これまでの彼女の言動を見ていると、二世議員の典型で、地盤、政界遊泳術が巧みなだけ。 政治家としての理念も信念もまったく感じられない。 こういう瀬戸際に追い込まれて、意味もなくこういう政治家を処遇するようでは、新内閣のみならず自民党に将来展望はないだろう。

 マスコミや大方の政治評論家が言うには、今回の内閣改造は小泉構造改革の否定なのだという。 小泉氏が竹中平蔵氏ら新自由主義に凝り固まった経済学者の尻馬に乗って、構造改革と称してグローバル化、市場原理至上主義に走ったことの反省なのだという。 もしそうなら新たな政策軸として一幅の絵ではあるが、それにしては今回の内閣改造にそう言う政策主張がよく見えない。 首相もおとぼけばかりではっきり言わない。 おそらくそんな高等な話ではないのだろう。 ただ単に、裏から官僚が糸を引いて、増税、大きな政府路線に揺り戻しただけにも見える。 財務省は増税したくてうずうずしているし、大きな政府は官僚の権限を増やすだけだ。

 小泉氏の構造改革が歯止めのない市場原理主義に陥り、いろいろな社会矛盾や歪みを招いていることは確かだろう。 企業の理念無き、止めどもないコストダウン競争を煽る派遣業法改正などはその典型だ。 そのために日本の労働市場はゆがみ、若い人達に勤労意欲を失わせ、社会不安を増大させた。 派遣により大企業は一時的に利益を得たが、このことが時間が経つに連れボディーブローのように効いてくるだろう。 トヨタあたりも利益率や販売台数が減り始めているようだ。 このダメージはいずれ日本全体に及ぶだろう。

 しかしながら構造改革自体が悪いわけではない。 どんな政策にも行き過ぎというものがある。 そこをうまく制御するのが政治というものだろう。 一次産業はともかく、二次、三次産業が競争原理で動くのは至極当然のことだ。 競争が行きすぎて社会秩序を破壊する前に、何らかの規制で合目的な方向に導くのが政治の役割だろう。 小泉氏の構造改革は、明治以来の官僚主導の政官民癒着の行き過ぎを緩め、より効率的な国家運営に戻すことにあった。 そのこと自体の価値は今も薄れてはいない。 便乗して官僚達が合目的でないおかしな政策を立案し、頭の悪い政治家がそれに乗せられただけの話だ。 その愚をまた繰り返すのだろうか。     

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