【伝蔵荘日誌】

2008年7月21日: 大分県教育汚職の暗闇 T.G.

 大分県の教員採用試験に関する汚職事件がますます広がりを見せている。 今日の産経新聞のニュースを見ると、教育委員会だけではなく、県議や国会議員まで口利きが横行していたという。 そうなると、おそらく大分県に限った話ではなく、全国の教員採用試験が同じ様な状況に陥っているのだろう。 記事によれば、教員採用試験だけではなく、昇進試験や大学の学位取得まで口利きや贈収賄が横行しているという。 報道によれば、学位試験で問題になった大阪市立大や横浜市立大では、「大学の調査に「感謝の気持ちとして受け取った」などと答える教授もおり、罪悪感は極めて薄い。」と言うことである。 ここまで来ると世も末である。

 それにしても、今頃の学校の先生はよほど美味しい商売らしい。 教職員を含め、今どきの自治体公務員の給与水準は民間企業より高く、一度職に就いたら倒産もリストラの心配もない。 それ故小学校教員の採用試験の倍率が10〜20倍に達するという。 一般企業の採用試験よりよほど難しい。 だから贈収賄が横行するのだろう。
 噂によれば、全国市町村職員の半分はコネ採用だという。 昔は市町村の職員(地方公務員)は仕事が地味な上、安月給で魅力がなかったが、今は人も羨む高給取りである。 職員採用の口利きが市会議員や県会議員の重要な選挙対策になっており、そう言うコネのない応募者にはきわめて狭い門なのだという。 口利きが常態化しているのに、誰一人告発しない。 世の中はそう言うものだと市民が達観しているのだろう。 こうなると悪いのは市議会議員ではなく、一般市民の方と言うことになる。 こういう民度の低さで地方分権なんて、百年早いのではあるまいか。

 我々の学生の頃は、教職を志す人以外、学校の先生は決して魅力的な職業ではなかった。 “でもしか先生”と言って、ほかに勤め先がないから“先生にでもなるか”、“先生にしかなれない”などと言われていたものだ。 当時の学校の先生は会社勤めより給料が安いし、せいぜい校長先生ぐらいしか昇進の道がなかったからだ。

 大学1年の時、ファン・デル・ヴェルデンの「現代代数学」を読んで数学に憧れ、後先のことも考えず数学科に進んだ。 この著書は集合論や群論の初歩から説き起こし、二巻の中程で天才数学者ガロアアーベルが初めて証明した“5次以上の代数方程式には一般解がない”と言う有名な定理の証明にたどり着く。 この本を読み進んでこの定理の証明が理解出来たときは感激した。 微積分中心の高校数学と違って、数字も数式も使わない抽象代数の世界の美しさに魅了されたのだ。 専門課程への進学を決めた後、先輩に「お前、先生にでもなるつもりか?」と言われ、愕然とした。 当時、つぶしのきかない数学科の学生は就職口が無く、せいぜい学校の先生になるぐらいしか道が無かったのだ。 数学科の学生15人の内、優秀な半分は大学院に進み、大学教授になって一生数学で飯が食えたが、出来の悪い残り半分は高校の先生ぐらいしか就職先がなかった。 自分も先輩に忠告されて、念のため教職課程の単位を取り、高校数学教員2級の資格を取った。 今でも免許状が押し入れの奥に仕舞ってあるはずだ。

 ところが神風が吹いて、大学卒業間際にコンピュータブームが巻き起こり、数学科の学生は引っ張りだこになる。 大手の電機メーカー、コンピュータ企業から求人が舞い込み、担当教授の推薦状さえもっていけばどこでも無試験で採用してくれた。 当時プログラマなどという職業は日本に存在しておらず、数学科の学生は理屈っぽいからプログラマに向いているだろうと思われたわけだ。 お陰で何の苦労もなく大手コンピュータメーカーに就職することが出来、学校の先生にはならずに済んだ。 今はまったく逆である。 プログラマなんて、もはや3Kに近い典型的派遣業種。 学校の先生の方がはるかにおいしいし、なるのが難しい職業である。 今昔の感がある。

 そんな難関をくぐり抜けてきた優秀な先生に教えられる学校教育が、やれ学力低下だ、不登校だ、校内暴力だ、イジメだと、劣化の限りを尽くしているのはどういうことだ。 志を欠いた試験優等生は教育者には向かないと言うことだろう。 ましてや贈収賄という世間ずれした世渡り巧者ならなおさらのことだろう。 

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