伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2008年7月8日: 「マオ、誰も知らなかった毛沢東」(下巻)を読む  T.G.

 図書館で借りたユン・チアン著、「マオ、誰も知らなかった毛沢東(下巻)」(講談社)を読む。前に読んだ上巻に引き続き、1947年の中国建国以降の話である。 手始めは朝鮮戦争である。国民党との血で血を洗う激しい内戦が終わった途端、毛沢東の野心は新生中国の軍事大国化に向けられた。そのためにはソ連からの軍事技術獲得、兵器生産能力移転が不可欠であった。毛沢東は朝鮮の内乱を奇貨として、スターリンから兵器と軍事技術を引き出す作戦に出る。やがて勃発した朝鮮戦争は、当事者である金日成などそっちのけの、毛沢東とスターリンの熾烈な駆け引きの場になった。著者のユン・チアンはモスクワの公文書館に公開されている当時の外交文書をつぶさに調べて、この戦争の経緯を詳しく書いている。朝鮮戦争については知っていたつもりだったが、この本を読んであらためてその本質を思い知らされた。

 48年にソ連から帰国し、朝鮮人民共和国を立ち上げた金日成は、ただちに南鮮(韓国)侵攻を企てる。スターリンに了解を取り付けるが相手にされない。やむなく金日成は交渉相手を毛沢東に切り替える。その毛沢東からは「必要なら中国兵を差し向けることも可能だ」とけしかけられる。これを機に毛沢東はスターリンに代わってアメリカと戦い、その代償としてソ連から軍事技術と兵器を引き出そうと考えた。毛沢東は「中国は何百万人もの兵隊を使い捨てにできる。アメリカ軍に強烈な一撃を与え、数年で数十万のアメリカ兵を殺戮できる」という全体構想をスターリンに伝え、支持と支援を求めた。支援の内容は、兵器の提供と軍需工場の建設であり、さらには核兵器の提供であった。スターリンにとっても、ソ連に代わり中国が「膨大な人的資源を使ってアメリカと渡り合い、アメリカを極東に釘付けにし、大量のアメリカ兵を殺戮してくれたら、冷戦の軍事バランスがソ連に傾く」というしたたかな計算があった。スターリンは軍事技術移転に関しては言を左右にしてOKを出さなかったが、膨大な兵器を提供した。そのため中国は朝鮮戦争休戦時に、最新鋭のミグ戦闘機を含む3000機の航空兵力を擁する軍事大国になっていた。これは当時アメリカソ連に次ぐ世界第三位の航空戦力だったという。

 50年6月25日、やっとのことでスターリンからGOサインをもらった金日成は、一気に38度線を越え、南鮮に侵攻する。8月初旬までに南鮮の90%を占領し、国連軍は釜山から東シナ海へ突き落とされそうになるが、やがて有力な増援部隊を投入したアメリカ軍に押し戻される。劣勢に立った金日成はスターリンにSOSを送り、中国の参戦を要請する。スターリンの了解を得た毛沢東は、人民解放軍を朝鮮半島になだれ込ませた。その結果、朝鮮半島は破滅的な戦火に巻き込まれ、毛沢東とスターリンの虚々実々の駆け引きの舞台になる。朝鮮半島がどうなろうと、この二人には痛くも痒くもなかったのだ。

 この経緯を描いた著書の第35章のタイトルは「朝鮮戦争をしゃぶり尽くす」である。冷酷無比の毛沢東は、スターリンから軍事技術を獲得するためだけに、まさしく朝鮮をしゃぶり尽くした。二人の駆け引きの裏で、膨大な人民が殺戮され、兵士が死んだ。反攻したアメリカ軍の猛爆で北朝鮮は瓦礫の山と化し、アメリカ軍司令官が「もう爆撃する対象物がない」と本国に報告するほどになった。北朝鮮の成人男子の3分1が死に、人口減で国の存続が危ぶまれるレベルに達した。韓国も軍民合わせて100万人が死んだ。毛沢東は300万人の人民解放軍兵士を送り込み、内100万人を死なせた。アメリカは3000機の航空機を失い、太平洋戦争を上回る3万7千人の兵士が死んだ。トルーマン大統領は太平洋戦争中にも出したことのなかった国家非常事態宣言を出した。日本を打ち負かしたアメリカ軍も、毛沢東の無尽蔵の兵士消耗作戦には敵わなかったわけだ。数年前まで、貧弱な装備しか持たない関東軍に追い回されていた八路軍とは大違いである。この違いはどういうことなのだろう。単に米兵が弱いと言うことだろうか。

 やっと戦争が終わったのは53年7月27日である。毛沢東との神経戦に疲れ果てたスターリンが心臓発作で急死し、後を受け継いだマレンコフ率いるソ連新指導部の強い意向によるものだった。この戦争の間、中国はきわめて貧しかったにもかかわらず軍事支出が国家予算の60%を占めていた。教育、医療など民生支出はわずか8%だった。毛沢東は人民の膨大な犠牲によって、スターリン亡き後のソ連から航空機組み立てなど100件以上の大型プロジェクトを引き出し、軍事大国化の基盤を得た。

 このことがその後の中華人民共和国の真っ当な成長を大いに阻害した。人口13億人の大国でありながら、80年代にケ小平が経済躍進策を取るまで世界の最貧国であり続けた原因の一つである。国民党を台湾に追い出し、中華人民共和国を建国した後、荒廃した国家体制を整えるためにやるべきことは、まずは経済や民生向上に力を集中することである。世界大戦後の日本やドイツは、そう言う方法で世界の経済大国に返り咲いている。しかしながら毛沢東という国家指導者はそうしなかった。この戦争の13年後に始めた壮大な愚挙、文化大革命はさらに国力を疲弊させた。中国にとって、毛沢東の存在は果たして幸せだったのだろうか。大いに疑問である。

 毛沢東は朝鮮戦争を“乗っ取り”、北朝鮮の命運と無辜数百万人の兵士の命をかたに賭博を打って目的を達した。国土を破壊し尽くされた金日成が停戦を懇願しても受け付けなかった。自身の立場が危うくなった金日成は、保身のために毛沢東とスターリンの言いなりになる。いわば国を売ったわけだ。売国奴をいまだに国父と仰ぐ北朝鮮は哀れな国である。

 大国の褌で相撲を取ろうとした金日成は見事に失敗した。その後の北朝鮮は、ソ連と中国の狭間でいびつな国家体制を維持することで生存を許され、今に至っている。最近の6カ国協議に見られるように、息子の金正日はまたまた中米ロを相手にあれこれ小賢しい交渉事を始めている。大国相手の火遊びであれだけ手痛い目に遭わされながら、懲りない連中だ。最近の韓国も、朝鮮戦争以来のアメリカべったりから中国寄りに軸足を移しはじめているように見える。この半島の人達は、いつになったらそう言う他力本願から脱して、独力独歩、自ら国を律する気になるのだろう。李朝末期から韓国併合に至るまでの経緯と同じく、民族自決を忘れ、大国の間を二股膏薬的に行きつ戻りつする習性は、この半島の人達のDNAになっているのだろうか。

 関連して興味を引く記述が二つある。一つは日本共産党が朝鮮戦争に合わせて武装蜂起を企て、戦争開始直前の1950年に北京に代表を送っていることである。結局中ソの共産勢力は日本国内でのコミンテルン結成に失敗し、事なきを得たが、もし実現していたらその影響は赤軍派やオーム真理教どころではなかったろう。戦後の混乱期、下手をすれば内戦になった可能性もある。日本共産党は昔も今も武力革命を党是にしている。少なくともこの方針を放棄したとは聞いていない。

 もう一つは、スターリンが朝鮮戦争の論功行賞としてアジアのあちこちの切り取りを毛沢東に許し、その中にビルマ、チベットも入っていたことだ。朝鮮戦争終了直後、毛沢東はただちに人民解放軍をチベットに侵攻させ、今のチベット自治区を獲得している。ビルマには中国の傀儡政権が出来ている。侵略戦争以外の何物でもなかろう。

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