【伝蔵荘日誌】

2008年5月22日: ねんきん特別便 T.G.

 しばらく前、年金暮らしの当方にも社保庁から“ねんきん特別便”なるものが届いた。 ご丁寧にも“年金”ではなく、“ねんきん”だそうである。 字が読めないわけでもなし、馬鹿にされたような気分である。 さっそく開けてみると、基礎年金番号の下に加入記録一覧が載っている。  幸か不幸か、大学を出てから同じ会社で律儀に働いて一度も転職をしたことがなかったので、入社日から退職日まで、40年近い厚生年金加入記録が切れ目なく続いている。 同じ会社でも、事業所が変わると加入記録も変わるようで、記録は8項目に別れている。 勤めていた頃の人事異動がいちいち思い出されて感慨深い。 我ながら真面目に働いたものだ。

 どこにもおかしな所がないので、回答用葉書に問題なしと記入して送り返した。 忘れた頃になって、再度“「ねんきん特別便」のご回答のお願い”なる通知が、社保庁から届いた。 「あなた様は、年金記録に「もれ」がある可能性が高いので、「ねんきん特別便専用ダイアルに」電話しろ、そうしたら「もれの可能性が高い具体的情報」をお伝えする」と馬鹿丁寧な言い回しで書いてある。 慇懃無礼とはこのことだ。 そう言われても思い当たる節はないので放っておいたが、家人が電話しろとうるさく言うのでかけてみた。 何度ダイアルしてもまったくつながらない。 専用ダイアルはIP電話ではかからないとあるから、「0000−」を加えた普通の電話でかけてみたが同じである。 当方の電話はNTTのひかり電話にしてあるが、どうやらそれも駄目と言うことらしい。 ひかり電話は技術的には一種のIP電話だが、天下のNTTが鋭意普及に努めているれっきとした固定電話だ。 これもつながらない専用ダイアルとは、いったい社保庁は何を考えているのか。 これだけ非難を浴びたのに、役人仕事が抜けないらしい。 懲りない役人どもだ。

 面倒くさいのでまた放っておいた。 伝蔵荘からの帰りの車でS君にその話しをしたら、「自分にも同じ通知が来た。 電話がつながらないので社会保険事務所に直接で向いて聞いてみた。 そうしたら、会社へはいる前、学生時代に親が国民年金に加入していてくれて、その記録が抜け落ちていた。 窓口で名前と生年月日を言ったら、たちどころに端末で検索してくれその記録が出てきた。 幸い親が支払いの領収書を保存してくれていたので、すぐに確定出来た。 君のもおそらく同じケースだろう」、と言う。 当方、両親とも40年以上前になくなっていて、もちろん領収書など残っていない。 つながらない専用ダイアルなど当てにせず、近くの社会保険事務所に出掛けてみようと思っているが、確証がなかったらどういう扱いをされるのだろう。 氏名と生年月日で検索出来ると言うことは、同姓同名で同じ日に生まれた日本人がほかにいない限り、自分のものと証明出来るのだろうが。

 それにしても社保庁の仕事は杜撰極まる。 この期に及んでこのような無駄なやりとりをする。 「あなた様の記録に重大な漏れがある」と分かっているなら、さっさとその情報を教えればいいではないか。 なぜそうしないのか。 おそらく同姓同名で生年月日が同じ人間がほかにいたときのリスクを考えているのだろうが、確率としては極々小さい。 確証がなくても、加入時の住所、支払者名などで確認出来るはずだ。 最悪の場合重複給付が発生したとしても、特別便にかけたコストよりはるかに小さいだろう。 年金加入者全員に同じやりとりをしているこの特別便には莫大なコストがかかっている。 

 当方のように年金制度の鏡のような、単純極まる加入記録でこれだけの混乱が起きるのだから、いろいろ人生経験豊富な人達の特別便はどうなっているのだろう。 おそらく永久に出口の見つからない大混乱に違いない。 こういう国家を揺るがすような不祥事が起きたのは、厚労省と社保庁の犯罪的にデタラメな仕事ぶりにあるのだろうが、もう一つの決定的な原因は国民総背番号制が導入されていないことだ。 歴代の革新野党が猛反対して潰してきたが、欧米では常識的な制度だ。 これなくして近代国家の合理的、かつ効率的な運営は行えない。 現在後期高齢者医療制度の見直しや年金一元化、税方式化などが議論されているが、どう転んでも、国民総背番号制を欠いた行政のやり方では元の木阿弥、うまく行くはずがない。 役人どものデタラメや不作為の隠れ蓑になるだけだ。       

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