【伝蔵荘日誌】

2008年4月25日: 黒澤明の「用心棒」を見る。 T.G.

 NHKのBS放送で黒澤明の映画「用心棒」を見る。 大学1年の昭和36年、仙台駅前の日の出会館で封切られたのを見て以来50年ぶりである。 この時代劇映画はストーリーの面白さや黒沢監督一流の斬新な演出でヒットした、黒沢映画の傑作のひとつである。 クリントイーストウッドの「荒野の用心棒」など、アメリカ映画で何度もリメークされている。 最初に見たとき、あまりの面白さに2回も続けてみたほどだ。 それを期待して最近購入した52インチの大画面液晶テレビで見たのだが、思っていたほどの感興が湧いてこない。 ハイビジョンの大画面映像は素晴らしいし、ストーリーの巧みさや黒沢流の映像技術は昔通りなのだが、かって見たときほどの引き込まれるような面白さを感じない。 筋書きを知っていることもあるのだろうが、昨今の映画に比べてとにかくテンポが遅いのである。 途中で退屈してきて、見るのをやめてしまった。

 黒沢監督は、この娯楽作品でそれまでの時代劇映画の固定観念や常識をすべて破壊した。 それまでのチャンバラ映画は、東映時代劇に代表されるような作り方が普通で、大川橋蔵や中村錦之助のような歌舞伎役者上がりの美男俳優がきれいな着物を着て出てきて、日本舞踊のような立ち回りをするのが常識であった。 主人公の美男サムライが、ひらりひらりと舞ながら優雅に敵を切り捨てる。 大袈裟な断末魔の表情で切られたはず敵が、一滴も血を流さず、何度も立ち上がりチャンバラに加わるのは興ざめだったが、歌舞伎の所作と同じく、それがチャンバラ映画の暗黙のルールと観客も納得させられていた。 黒沢のチャンバラはその常識を覆してしまった。 それまでの刀で撫でるような切り方ではなく、相手を一撃でぶった切る。 切られた腕が血まみれで飛んでいく。 血潮が噴水のように飛び散る。 倒した敵が再び立ち上がれないように刀でとどめを刺す。 人肉を切る効果音を出すために、豚肉の塊を実際に日本刀で切った音を使ってリアルさを出した。 今では常識になっているが、侍や町民にこぎれいな着物を着せず、すり切れて垢染みた服装をさせた。 江戸時代の貧しい浪人者や町民の服装は、それが当たり前なのだと観客は気がつかされた。

 黒沢流の演出は、日本のチャンバラ映画に限らず、欧米のアクション映画にも影響を与えた。 それまでは西部劇でも戦争映画でも、バイオレンスシーンをそれほどリアルには描かなかった。 「シェーン」でも「真昼の決闘」でも、銃で撃たれてもばったり倒れてみせるだけで、それ以上の描写はしなかった。 今は様変わりである。 銃で撃たれると、血が噴き出し、脳漿が飛び散る。 口や鼻から血を垂れ流し、地面をのたうち回る。 爆破シーンでは人体が吹っ飛び、粉々になる。 黒沢映画の味を覚えた観客は、そこまで微に入り細にわたったリアルな描写をしないと納得しなくなってしまった。 「用心棒」の冒頭、遠くから犬が何かをくわえてこちらへ歩いてくるシーンがある。 望遠レンズで引っ張ると、くわえているのがちぎれた人間の手首と分かって、観客は思わずぎょっとする。 ストーリーに引き込む巧みな演出だが、人間の死体をこのようにリアルに扱った映画はこのとき初めて見た。 昨今のバイオレンス映画はこういうリアルな残虐描写のオンパレードである。

 その黒沢映画がいかにも昔の映画だと分かるのは、何と言ってもテンポの遅さである。 今どきのバイオレンス映画は始めから終わりまで30秒に一回見せ場がある。 倒しても倒しても次々に敵が現れ、主人公は銃をとっかえひっかえ撃ちまくり、危機一髪の所で助かる。 そう言う作り方をしないと、退屈で誰も見てくれない。 「用心棒」も昔見た記憶では見せ場の連続だったと思っていたが、改めて見て今の映画に比べればずっと少ないことに気がついた。 セリフ回しによるストーリー展開が主で、バイオレンスシーンはせいぜい4、5カ所しかない。 これでは映画に刹那的刺激を期待する今時の観客には受けないだろう。

 人間は慣れの動物である。 経験を積むに従い興奮度のしきい値はどんどん下がる。 ちょっとしたことでは興奮も満足も感じなくなる。 映画もゲームもよりアルで刺激的なでないと顧客が寄ってこないから、作り方がますますエスカレートする。 刺激に対する要求度は増すばかりで、とどまることを知らない。 その行き着く先が、映画やゲーム機で得られる仮想的興奮では満足出来なくなり、実際に刃物を持って人を刺したり、銃で撃ったりすることにつながるのだろう。 昨今の暴力事件や少年犯罪は社会的背景から生まれるのであって、映画の暴力シーンやゲーム機には責任はないと言うマスメディア擁護の識者もいるが、少なくとも死に対する慣れや刺激に対する不感症には大いに与っているのではないか。 改めて黒沢映画を見てそう言う気がした。    

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