【伝蔵荘日誌】

2008年4月23日: 光市母子殺害事件に対する判決  T.G.

 光市母子殺害事件に対し、広島高裁が死刑判決を言い渡した。 テレビは朝からこの報道で持ちきりである。 それほどこの裁判に対する世の中の関心が高いということだろう。 1審、2審の無期懲役判決が不適当と、最高裁が差し戻し裁判を命じた。 2審の後、弁護団が死刑廃止論者の弁護士21人に入れ替わり、あの手この手の怪しげな法廷闘争を繰り返してきた。 2審以降、被告の元少年はそれまでの供述を翻し、「殺害後強姦したのは精子を体内に注入し生き返らせる儀式だった」とか、「押し入れに死体を入れたのはドラえもんに何とかしてもらうためだった」とか、愚にもつかぬ供述を言い始める。 事件後6年間、それまでの取り調べにも弁護士にも、一度も口にしたことのない話である。 新弁護団の弁護テクニック上の入れ知恵としか思えない。 それにしても愚かな弁護団である。 判決は、これらの新供述を極刑を回避するための作り話、言い逃れであり、信用出来ないと一蹴した。 弁護団の思惑に反して、普通の社会人の一般常識に沿った判断と言えるだろう。 法治社会において、法理論のみに偏った、社会常識と大きく乖離した法の適用は、法に対する社会の信頼を毀損する。

 一連の報道を見ていて、判決後の記者会見で被害者の夫である本村洋さんと朝日新聞記者のやりとりが印象に残った。
 「今回の少年は(犯行時)18歳。 ハードルが外れ、今後、少年の死刑判決が続くと思いますか。」と言う、いささか悪意の含まれる、的はずれな朝日記者の質問に対し、
「そもそも、死刑に対するハードルと考えることがおかしい。 (原則的には)日本の法律は1人でも人を殺めたら死刑を科すことができる。 (ハードルがあるとすれば)それは法律ではなく、司法が勝手に作った慣例に過ぎません。 今回の判決で大事なことは、過去の判例にとらわれず、個別の事案をきちんと審査して、それが死刑に値するかどうかということを的確に判断したことです。 今までの裁判であれば、 “18歳と30日、死者は2名=無期”で決まり、それに合わせて判決文を書いていくのが通例だったと思います。 そこを今回乗り越えたことが非常に重要でありますし、裁判員制度の前にこういった画期的な判例が出たことが重要だと思います。 もっと言えば、過去の判例にとらわれず、それぞれ個別の事案を審査し、世情に合った判決を出す風土が生まれることを切望します。」と、言いよどむこともなく理路整然と切り返している。 若いのに大した人物である。 本人の資質もあろうが、この9年間の身を削るような苦しみが人を育てたのだろう。 軽薄で不勉強な記者はグーの音も出なかったに違いない。

 そもそもこの朝日記者の質問は、9年間苦しんだ被害者の家族に向けるべきものではない。 死刑を求刑した検事か、判決を出した裁判官か、2審を差し戻した最高裁に聞くのが筋だろう。 被害者である本村さんに「責任を感じます」とでも言わせたいのだろうか。 日頃の論調を見ていると、弁護団と同じくこの新聞はどうやら死刑廃止論に傾いているようだが、それならそうと、常日頃から死刑廃止についてもっと確信的で旗幟鮮明な報道を心懸けているべきだ。 それをせず、こういう場面で思いつきのように、あたかも本村さんが突っ張ったから、少年犯罪に対する刑罰が厳しくなる、とでも言うような、非難めいた底意地の悪い誘導質問をする。 この新聞はそう言うやり方で、今回の判決を誤った不当な判決だと、遠回しに言いたいのだろう。 Web新聞のasahi.comでも、「不当判決で厳罰化加速と弁護団が批判」という弁護団への同調記事を繰り返している。 これほど世間の関心を集めた事件なのだから、他人の口を借りるような姑息な報道はやめて、少年犯罪と死刑について、新聞社としての確固たる理念や考え方を紙面でつまびらかにすべきだろう。

 これほど事実関係が明らかな犯罪に対し、9年にも及ぶ裁判手続きが繰り返されたことは、司法の不毛としか言いようがない。 また、新弁護団のあきれ果てるような法廷闘争のやり方を見ていると、本来は真理と正義を求めるべき弁護士活動が、正義もへったくれもない、勝つためには手段を選ばない、黒を白とでも言いくるめる、ろくでもない職業に見えてくる。 こんな愚かなことを繰り返していると、法治に対する国民の信頼が損なわれるだろう。 前の日記にも書いたが、死刑廃止は司法の場ではなく、立法の場で争うべき問題である。 その意味でも、この新聞と弁護団のやり方には大いに疑問を感じる。    

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