【伝蔵荘日誌】

2008年4月18日: イラク違憲判決と国家公務員制度改革法

 今朝の朝刊にイラク違憲判決と国家公務員制度改革基本法のニュースが載っている。 無関係の問題のようで、実のところ日本が抱える根本的問題と言う点で根はつながっている。 この二つの問題が日本を金縛りにし、国の運営を大いに歪めている元凶である。 これらに比べれば、ガソリンの暫定税率や後期高齢者医療制度など些末な問題である。

 イラクでの航空自衛隊の輸送活動は憲法違反だ、それによって国民の権利である“平和的生存権”を犯された、その精神的苦痛に対し慰謝料を払えと、一握りの市民運動家と称する連中がおかしな訴訟を起こした。 それに対し名古屋高裁が、「市民の具体的権利が侵害されたとは認められない」と控訴棄却しながら、「空自の活動は多国籍軍の武装勢力を戦闘地域に空輸するもので、武力行使と一体化した活動であり、憲法違反」と、言わずもがなの蛇足を判決書に付け加えた。 敗訴したにも関わらず、原告団は鬼の首を取ったように舞い上がり、憲法違反と決め付けられた被告の国は、勝訴なので上告出来ないのだと言う。 訴えた側も裁いた側も、現実から目を背けた言葉遊びをしているとしか思えない。 法律というものはおかしなものだ。

 普通に国語教育を受けた日本人が憲法9条を素直に読めば、イラクでの空自の活動が9条第一項に言うところの「武力による威嚇又は武力の行使」に当たることは理の当然である。 それ以外に読みようがない。 お日様は東から昇ります、と言われているのと同じで、分かり切ったことを今さら裁判所に仰々しく言われると、馬鹿にするなと白けるだけだ。

 それでは現実問題として国際社会の中で生きてはいけないので、歴代政府は苦し紛れにおかしな憲法解釈をひねくり回してきた。 どんなに頭のいい連中でも、解釈改憲と言う屁理屈の積み重ねだけで国を動かして行くのは難しい。 無理を重ねてそこら中にほころびが出はじめている。 このほころびは、20世紀のもっとも進んだ民主主義憲法と言われたワイマール憲法の下で独裁者ヒットラーが生まれたように、いずれもっと大きな破綻につながるだろう。 心ある人達はそろそろ憲法改正の潮時と思い始めているが、マスコミに踊らされた国民が、寄ってたかって安部政権を引きずり下ろした時に、その可能性は遠のいた。 何と言っても、議会制民主主義の元で改憲の必要条件である3分の2条項の存在は重い。 あたかもお釈迦様が孫悟空の頭にはめた金輪のようで、そのくびきから逃れるのはほぼ不可能に近い。 GHQも罪なことをしたものである。

 それにしても、誰が考えたか知らないが“平和的生存権”とは実に奇妙きてれつな日本語である。 戦争には相手がある。 自国だけの都合で好きこのんで始めるものではない。 いくら9条でも、平和的生存権などという手前勝手な幻想を保証出来るわけがない。 こういう浮世離れした愚にもつかない訴訟をいちいち取り上げる裁判所もどうかしている。 門前払いをして然るべきだ。

 もう一つの公務員制度改革法はそれ以上に難しい問題である。 明治以来続いてきた官僚制度の仕組みは、岩のように固い巨大権力に変容し、もはや誰も容喙出来ない。 「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というJ.アクトン卿の警句の通り、この絶対権力も腐敗が進んでいる。 公共事業や年金や医療保険問題や、合理性を欠いた財政金融行政や膨大な国家債務など、今の日本の問題はすべてこの夜郎自大な国家権力が恣意的に生み出したものと言って過言ではない。 一人の独裁者なら倒せても、数十万人の公務員を広く覆って存在する、つかみ所のない化け物のような権力の首根っこを押さえるのは容易でない。 これではいかぬと歴代政権がいろいろ改革を試みたが、すべて失敗した。 福田政権は次の国会で国家公務員制度改革基本法なるものを提出すると言うが、今のねじれ国会ではまず通らないだろう。 仮に通ったとしても、法案自体狡猾な官僚達の抵抗にあって骨抜きになるだろう。 何と言っても法律は官僚自身が作るのだから。 まな板の鯉が包丁を握っているようなもので、自らの体に刃を入れるはずがない。 役人達の高笑いが聞こえるようだ。 

 現在、独立、特殊合わせて4500の行政法人があり、天下り役人が2万8千人いる。 彼らに仕事を与えるだけの目的で、年間12兆6千億円の助成金、補助金が使われいる。 84兆円の一般会計予算の実に15%にも達する額である。 それが国政のために真っ当に使われているなら問題ないが、道路や年金を見れば分かるように、かなりの部分がいささか不明朗な使途に消えている。

 IT企業に勤めていた頃、関係官庁のお役人と付き合った経験がある。 彼らの予算の使い方にはいつも疑問を感じていた。 IT産業育成のために、政策を立案して予算を付ける。 予算規模はおおむね数億円から数十億円。 多い時は数百億円。 政策立案したお役人は、自らその予算を使って政策プロジェクトを実行しない。 それを取り仕切り、消化するのはすべて配下の行政法人である。 政策自体は立派なものでも、そこででいじくり廻されている間に予算は目減りしていき、実際に我々産業界の育成に廻る真水予算はわずかなものになる。 途中でわけの分からぬ連中の食い物にされるのだ。 政策目的自体が志を欠いた天下り役人達にいいように顴骨堕胎されて、愚にもつかぬ結果に終わる。 そうやって失敗に終わったプロジェクトは数え切れない。 日本のIT産業が中国、インドにもおいて行かれつつあるのは、こういう杜撰な産業政策の結果である。 それでもこのお役所はまだマシな方で、それ以上に多額の予算を消化する公共事業官庁や年金、医療行政官庁はもっと次元が低いのだろう。 日本という経済大国は、体の中を官僚というシロアリに蚕食され、まさに息絶え絶えなのだ。 彼らの分をわきまえないいい加減な行政行為の結果、国家の骨組みはゆがみ、国力は衰え、積み上げられた千兆円の国家債務はさらに増え続けている。 今のままでは日本が再び経済大国になることなど絶望的だ。

 憲法を改正して合理的で現実にマッチした国家運営を行えるようにすることと、官僚達が握って放さない巨大かつ不可侵の権限を取り上げて政治の手に移すことが、日本の将来にとって最重要課題だろう。  

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