【伝蔵荘日誌】

2008年3月14日: 日銀総裁と道路特定財源問題 T.G.

 次期日銀総裁と道路特定財源問題で国会が揉めている。 民主党がよほど腰砕けにならない限り、この二つとも通らないだろう。 どちらも今の日本にとって、それほど喫緊とは言えない、どうでもいい問題である。

 政府はもちろん、マスコミまで、原油高やサブプライム問題で大変な時期に中央銀行総裁が空席になれば、国益にもとると大仰に訴えるが、そんなことはありはしない。 いままで日銀総裁がちゃんと椅子に座っていても、おかしな金融行政が行われたし、国益も阻害されてきた。 今に始まった話しではない。 バブル以来の“失われた10年”に日銀総裁が独自性を発揮し、日本経済を正しく導いたとはとても思えない。 空席がすぐさま日本の金融行政に取り返しのつかない穴を空けるわけではない。

 道路特定財源問題もそうだ。 民主党の言うように、暫定税率を撤廃しガソリンを25円安くすると言うのも、ポピュリズムの典型でいやらしい限りだが、道路建設のために今後10年で59兆円が必要だと頑迷に言い張る国交省の言い分の方がそれ以上に胡散臭い。 冬芝国交相の答弁を聞いていると、役人の振り付けで踊りを踊らされているようにしか見えない。 政治家としての信念、見識がまったく感じられない。 道路財源のおかしな流用が次々に漏れ出て来ても、逃げ口上の弁明に明け暮れている。

 この二つの問題に共通するのは、官僚の強大な権益を確保するための国会議員による代理戦争という点である。 どちらも政府の政治理念は見えてこない。 政府やマスコミは、武藤元財務省次官を日銀総裁に据えても財政と金融の分離は守られると強弁するが、そう強弁しなければならない人物をなぜ無理して押し込まねばならないのか。 日本に金融行政を仕切れる人物は他にいないのか。 余人をもって変えられないというなら、そのことを分かりやすく説明すべきではないか。 それをせずに手練手管で国会を押し切ろうとするのは、何か裏事情があるとしか見えない。 民主党が政局がらみで突っ張っているのは見え見えだが、そのことをもってしても武藤氏は不適任と考えるべきだろう。 いやしくも日銀総裁は政府と独立した日本経済の舵取り役なのだ。 いかなる理由があれ、国民の半数が納得しない人物を据えるべきではない。

 武藤敏郎氏は66年に大蔵省入省、84年に主計官になり、2000年に事務次官になった。 この間、財務省(大蔵省)は戦前の陸軍のような夜郎自大な存在になり、野放図な財政運営で“失われた10年”と言う第二の敗戦を招いた。 後先のことを考えず国債を乱発し、日本を世界一の借金大国にし、集めた過剰資金を財政投融資で湯水の如く使い、止めどもない公共工事で日本をコンクリート漬けにした。 挙げ句のはてに先見性を欠いた金融政策でバブルを発生させ、破綻させた。 日本の経済力、産業競争力を失わしめた。 その最中、ノーパンシャブシャブのような破廉恥までしでかした。 武藤氏は常にその渦中に身を置いていた大蔵省の申し子のような官僚である。 いまごろのこのこ出てきて日銀総裁だなんて、悪い夢を見させられているような気分である。 財政と金融の分離という原則を無視し、国論を二分してまで日銀総裁に据えるべき人物ではない。 自民党はさっさと武藤総裁案を引っ込め、他の候補者の人選にかかるべきだ。 ほかに任せるに足る人材がいないわけでもなかろう。

 道路特定財源を一般財源にすると、道路予算が減り、公共工事に依存する地方経済に悪影響が出る。 そんなことは特定財源以前に公共工事を減らしはじめた10年前から分かっていることだ。 その間に政策的に産業構造の転換を図っておくのが役人と政治家の仕事だろう。 なすべきことをせず、なるに任せておいて、今さら道路特定財源という利権にしがみつく国交省行政は愚の骨頂である。  不作為の罪を問われて然るべきだ。 このさい国交省の道路10年計画はとりあえず3カ年計画程度に縮め、その間に特定財源の一般財源化、道路計画の抜本的見直しを行うべきである。 道路が要らないわけではないが、今の道路計画は日本の置かれた状況からみてアンバランスに過ぎる。

 なぜそんな当たり前のことが今の福田内閣に出来ないかと言えば、官僚のOKがもらえないからに違いない。 見識を欠いただらしない内閣である。 前任者の小泉、安部は少なくとも官僚支配に一石を投じる気概があったが、福田にはない。 官僚の言いなりである。 やはりここはいちばん政権交代が必要か。 それにしても小沢民主党は頼りがないし、こんな低次元の問題で国論が二分される日本国民も不甲斐ない。     

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