【伝蔵荘日誌】

2007年10月10日: 対北朝鮮制裁措置延長に関する朝日新聞の社説

 昨日福田内閣が決めた対北朝鮮制裁延長に関する 10日付の朝日新聞社説を読む。 タイトルに「対北朝鮮−首相は早く戦略を固めよ」とある。 書かれている中身から察するに、どうやら朝日の編集部はこの政府決定に反対らしい。 らしいというのは、どこを読んでも明瞭に反対とは書いていないからだ。 是非はともかく、制裁延長は日本政府の戦略の明示である。 それに対し「戦略を固めよ」とは言語矛盾以外の何物でもない。 もし書くなら、明確に「延長に反対」とするべきだ。 それが大新聞の社説というものだろう。

 反対らしいと推察される文章を幾つか列挙すると、

「(核)施設の再稼働はない、と保証できるところまでは行っていないものの、こうした動きは前向きのものだ。 少なくとも制裁の部分解除などを通じて、日本政府としての評価を発信できたのではないか。 」
「金総書記は先の南北首脳会談で「福田政権の出方を見極めたい」と語ったという。 その中での延長はあまりに単純すぎた。」
「拉致問題が進まない限り、支援には加わらないというのが安倍前政権の方針だったが、そんな単純な割り切りでは通用しない段階に至っている。 」
「米国は、北朝鮮との直接交渉を深めている。 年内にもテロ支援国家リストから北朝鮮を外すという観測も出てきた。 …このプロセスに日本としてどうかかわっていくか、早く態度を固めなければならない。」
「拉致問題の進展をもっと具体的に、細かく北朝鮮に迫り、対応を引き出すことだ。 …(中略)…日本の独自制裁の解除も当然、取引材料になるだろう。」


 ここまで書いておいて、「反対」と一言も書かない朝日新聞編集部の精神構造がまったく理解出来ない。

 親の代から何十年も朝日新聞を購読してきた。 ある時訳あって他紙に変えた。 スポーツ欄で巨人戦をほとんど取り上げないと言うまったく下らない理由である、 以来朝日は読んでいない。 この社説はwebで読んだ。 ただで新聞が読めるとは、まったく便利な時代である。

 実のところ、取るのをやめた本当の理由は、この社説のような女々しくいやらしい記事の書き方に嫌気がさしたからだ。 朝日の政治、社会記事には、多かれ少なかれこの種のレトリックが多用される。 「朝日はこう考える」と書かずに、「街の声はこうだ」などと書く。 記事に主語や断定がない。 最近話題になった沖縄戦集団自決への軍の関与にしても、デモの参加者11万人(実際は2万人に過ぎなかったらしい)とさも大仰に書くが、「軍の関与があったと教科書を書き直せ」とは一言も書かない。 そう書けば、関与の証拠を示さなくてはならない。 肝心なところは逃げているのだ。

 正直に言うと、朝日を購読している頃はこういうレトリックにあまり抵抗を感じなかった。 知らず知らずのうちに、そんなものかと思いこまされてきた。 今回の制裁延期措置に関しても、おそらくナイーブな朝日の読者は理由は分からないが何となく政府のやっていることはおかしいな、と思い始めるだろう。 一種の刷り込み、洗脳である。 “拉致問題の進展を具体的に、細かく北朝鮮に迫って”も、北朝鮮の対応が出てこなかったから制裁に踏み切ったことを失念してしまうだろう。 拉致に進展がないまま万景峰号を入港させることに抵抗を感じなくなるだろう。 集団自決への軍の関与の証拠がないから教科書を書き換えた。 歴史教科書は伝聞にもとづいて書かれるべきではない。 それなのに11万人がデモと大仰に煽られると、読者は「関与の証拠」などどうでも良くなってしまうだろう。   

 戦前も朝日新聞は、「欲しがりません、勝つまでは」などと言う大政翼賛会的記事で国民を戦争に駆り立てた。 60年経っても体質はまったく変わっていない。 マスコミが政府に批判的意見を持ち、それを社説や記事にすることは一向に構わない。 むしろそれがジャーナリズムの役割だ。 しかし自らの考えを旗幟鮮明にせず、持って回ったレトリックで大衆を扇動するのは、ジャーナリズムにあるまじき邪道である。

 ちなみに読売、毎日、産経など朝日以外の他紙は、いずれも今回の延長を現時点では当然の処置と書いている。 新聞を並べて読めるのもインターネットの御利益である。    

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