【伝蔵荘日誌】

2007年10月8日: テロ特措法とロンドン海軍軍縮条約 T.G

 今日の新聞報道を読むと、小沢民主党はテロ特措法に対してますます頑なな方向に走っているようだ。 曰く、目的外のイラクに油が使われている、集団的自衛権の行使だ、挙げ句には憲法違反だ、等々である。 憲法まで持ち出す教条的な態度は、護憲派左派の神学論争に似ている。 横路氏など、がちがちの旧社会党左派系議員の影響もあろうが、アメリカなにするものぞという国民の単純な反米感情に棹さしているとすれば危うい限りである。 昨今の状況では、近い将来民主党が政権を取り、特措法が破棄され、海上自衛隊の艦船がインド洋から撤退する可能性は小さくない。 

   国際外交の観点から見ると、この件は昭和5年のロンドン海軍軍縮条約と、それに触発されて起こった5.15事件の流れに似ている。 特措法と同じく、当時の日本の国力と国益を冷静に考えれば軍縮条約は正しいものであったが、それによって国民の反米感情が増幅され、軍人のクーデターを引き起こし、条約破棄に至った。

 反対する軍人側が“統帥権干犯”などという怪しげな憲法解釈を楯に取った点もよく似ている。 国民は一時的に溜飲を下げたが、この結果英米との離反を招き、国際的に孤立し、国が滅んだ。 軍縮条約と同じく、テロ特捜法は今後日本が英米とどう折り合っていくかのリトマス試験紙である。 英米と距離を置いて国が保てればそれも良し、保てなければ国を危うくする。

 ロンドン軍縮条約では、軍艦保有量がアメリカに対し7割以下に抑えられた。 これに不満を持った一部海軍将校達が首相官邸に乱入し、犬養首相を暗殺した。 5.15事件である。 これにより日本の政党政治は瓦解し、4年後の条約離脱、8年後の日米戦争への道を歩み始める。 国民と遊離した軍人の暴挙ではあるが、その後に陸軍将校が起こした2.26事件と同じく、国民の反米感情に底辺で支えられた面は否めない。 この点もテロ特措法の動きに似ている。

 “統帥権干犯”とは、“陸海軍の統率権は内閣にあるのではなく、天皇の大権である。 政治家は軍縮のような軍事マターに容喙すべきでない”とする考え方である。 大日本帝国憲法11条の、「天皇は陸海軍を統率する」という条文が根拠になっている。 立憲君主制の明治憲法において、天皇の大権は象徴的なものに過ぎなく、実際の政治は天皇を輔弼する首相と内閣が執り行うのが法の本来の精神である。 軍人達は憲法の精神をないがしろにし、条文を字句通りに解釈することを求めた。 今の憲法解釈と同じである。 軍人達にこの悪知恵を授けたのは、右翼指導者北一輝と言われる。 以来陸海軍の軍人達は内閣の方針に従わず、国益を無視して勝手な軍事行動に走るようになる。

 小沢民主党は、テロ特措法は国益うんぬん以前の問題で、そもそも憲法違反だと言いだした。 インド洋での燃料補給は集団的自衛権の行使にあたり、9条に違反するというわけだ。 ちなみに、そのような憲法解釈をする内閣法制局も、集団的自衛権が日本を含むすべての国家に付与された“自然権”であることは認めている。  それまでの小沢は、テロ特措法は対米追従だとか、国連決議を経ていないことなどを反対の根拠にしていたが、一昔前の護憲左翼の幼稚な9条神学論争に戻ったわけだ。 その意味で統帥権干犯問題に似ている。

 当時の心ある政治家や軍人達は、対米7割の軍艦数は平時のことに過ぎなく、いったんことあれば、アメリカの造船能力はあっという間に膨れあがり、日本に数倍することを知っていた。 だから7割という数字にこだわるのは意味がない。 この条約の本来的意義は英米との協調にある。 当時の軍人や国民は、そのことに思いを致さず偏狭なナショナリズムに走った。

 小沢のテロ特措法反対も同じだ。 対米追従とか国連決議の有無とかイラクへの流用などは問題の本質ではない。 ましてや憲法の教条的解釈まで振りかざして屁理屈を言うようでは、当時の愚かな軍人達と変わらない。 問題の本質は、現在の国際情勢において欧米と距離を置くのが良いか悪いか、国益に沿うか沿わないかにある。 政治家は憲法学者とは違う。

 80年のイラン・イラク戦争で引き起こされた第二次オイルショックの折、丸の内の石油連盟に呼ばれたことがある。 中東からの原油輸入に支障を来さぬよう、オイルタンカーを追尾、監視するコンピュータシステムについて意見を問われた。 その際聞いて驚いたことだが、ペルシャ湾から日本に至る2万キロに及ぶシーレーンには巨大タンカーが数珠繋ぎで運行されていて、船の後尾から次のタンカーが見えるほどだという。 石油消費量が増えた今ではもっと船の距離が近くなっているのだろう。 考えようによっては空恐ろしい光景である。 それほどの量の石油を安定確保しなければ日本はやっていけない。 このシーレーンが一時的にでも止まれば、日本経済も日本も破滅する。 政治家と国民はあらゆる手段を講じてこの事態を避けねばならない。 テロ特措法の意義はただこの一点にかかってる。 神学論争などやっている暇はない。

 それとも知恵者小沢は、テロ特措法を奇貨としてアメリカの傘から抜け出し、日本を彼の持論である“普通の国”にしようと考えているのだろうか。 そうであるならそれも一幅の絵ではあるが、国民はそこまでの覚悟はしていまい。 いずれにしろ、80年前の海軍軍縮条約が昭和日本の分岐点であったように、テロ特措法が平成日本の分岐点になる可能性は大きい。  

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