【伝蔵荘日誌】

2007年9月13日: 安部首相の辞任

 昨日、安部首相が唐突に辞任した。 ほとんど稚拙とも言えるやめ方を見ていると、国家指導者に必要不可欠な資質が、何事にも動じない強い精神力と胆力であることを痛感する。 彼にはものの見事にその二つとも欠けていた。 テレビで評論家や政治家がいろいろご託を並べているが、どれも面白半分のワイドショー的発言。 政治の混迷や日本の将来を憂える、腰の据わった言論は皆無である。

 この半年の安部政権に対する逆風は凄まじいものだった。 マスコミはこぞって内閣のスキャンダル暴きに奔走し、テレビ、新聞で連日連夜報道する。 内容のほとんどは二重伝票であり、還元水であり、絆創膏である。 この半年、安部政権が掲げた政治目標そのものには誰も見向きもしない。 例えば、教育基本法改正、地方分権、公務員制度改革、憲法改正、集団的自衛権の見直し、などなどである。 どれをとってもこれからの日本のあり方を規定する重要な政治課題であるのに、NHKをはじめ、多くのマスコミがこれらの是非を論じたり、報道したりしようとした形跡がない。 週刊誌並の低俗なスキャンダルジャーナリズムに逸脱している。

 年金問題にしても、必ずしも安部内閣の失政ではないことを重々知りながら、安部政権をサンドバッグに仕立てて面白半分の見せ物にした。 それを狡猾な官僚達が情報を小出しにして煽った。 官僚にとって、安部内閣が蛮勇を振るって手をつけようとした公務員制度改革と天下り禁止法は悪夢そのものである。 どんな汚い手を使ってもやめさせなければならない。 彼らはやっと目的を達した思いだろう。

 今回のどたばた劇を見ていて、これからの日本にとって深刻な問題と感じたことが幾つかある。 政治家のリーダシップ、国民の政治の成熟度、マスコミの資質、官僚システムの肥大化、の四点である。

 【政治家のリーダシップ】
 今回の安部の稚拙なやめ方はリーダシップ以前の問題であるが、それにしても今のような混迷の時代に、国家を力強く牽引していく政治家が見あたらないのは問題だ。 次期総裁選びであたふたしている自民党はもとより、民主党にも頼れそうな人材は見えて来ない。 小沢にしても、相手のヘマを待ち受けて政局に持ち込む力量はあっても、日本をどういう方向に導こうとしているか判然としない。 彼は少し前に“普通の国”を唱えたことがあるが、昨今のテロ特措法に対する姿勢を見ると、“君子豹変”としか思えない。 結局彼の頭には、政局と政権奪取しかないのだ。 昔ながらの彼の悪い癖である。 彼が昔唱えた“普通の国”とは、“国家安全保障体制が他国並み”と言う意味である。

 【国民の政治成熟度】
 戦後60年、日本国民は徹底した民主主義教育を受けてきたはずだった。 少しは政治に対する成熟度、言い換えれば理性度が上がっているかと思っていたが、今回の主体性を欠く浮ついた世論には失望した。 70%あった国民の支持が20%に下がったと言うことは、本来は安部政権の主要政治目標に失望したと言うことでなければならない。 しかし、マスコミの言う“街の声”を聞いても“アンケート結果”を見ても、そう言う声はまったく聞こえてこない。 マスコミの魔女狩り報道に乗せられて、ただただ二重伝票であり、絆創膏であり、年金ヒステリーである。
 閣僚のスキャンダルはともかくとして、この1年、安部政権が掲げた主な政治テーマはまったく変わっていない。 憲法改正にしても、70%の支持と言うからには、一部の確信犯的護憲派は別として、ほとんどの国民が支持したはずだ。 こういう皮相的で風向きでどうにでもなる国民性を見ていると、日本の将来が暗くなる。 得体の知れない世論で内閣が潰される風潮は、議会制民主主義の否定ではないか。 国会はなんのためにあるのか。

 【マスコミの資質】
 それにしても日本のマスコミ、特にテレビの程度の低さには呆れる。 この期に及んでも、各局とも政変劇をワイドショー化することしか頭にない。 自分たちのスキャンダル報道に、国民が自在になびく様を見て悦に入っているとしか思えない。 マスコミが玉石混淆であることはどこの国でも同じだが、一部には世を憂える志のある木鐸が必要だ。 国営放送であるNHKが真っ先にその役割を果たすべきだが、民放レベルの視聴率争いに巻き込まれ、役割を放棄している。
 よく大統領制の是非が言われるが、日本人に大統領制は向かない。 理より情に走るテンション民族には、権力を極度に集中させる大統領制は大いに危険だ。 マスコミに容易に扇動される無定見な国民を見ていると、いっそうその思いがする。

 【官僚システムの肥大化】
 これら3点にも増して暗澹とするのは、日本の官僚支配についてである。 150年かかって肥大化した日本の官僚システムはまるで化け物だ。 いくら野放図なことをしても、誰も手が出せない。 政治家も国民もマスコミも、すべて彼らの掌の上に乗せられた孫悟空と同じである。 いくら頑張っても、せいぜい役人の指にお経の文句を書いてくるしか能がない。 このままでは、戦前のように夜郎自大な役人どもが再び国を滅ぼしかねない。 誰かこの絶望的状況から救ってくれないものか。 安部に期待したが、見事に腰砕けだったから。

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