【伝蔵荘日誌】

2007年8月13日: テロ特措法と小沢一郎の政治手法

 参院選勝利の勢いを駆って、小沢一郎がやっと政権奪取に動き始めたようだ。 うまく行けば日本国民にとって念願の二大政党による政権交代が実現することになる。 戦後60年、やっとここまで来たかという思いとともに、正直なところ幾分の危惧の念を禁じ得ない。 過去に繰り返された小沢一流の権謀術策ばかりが見え隠れするからだ。

 小沢一郎は自民党最大の権力者、田中角栄の薫陶を受け、一時はもっとも総理の座に近い若手政治家と言われた。 政党政治における角栄仕込みの腕力は他の追随を許さず、第一次海部内閣で自民党幹事長にまで登り詰めた。 1991年、海部内閣が総辞職すると、当時の自民党実力者金丸信や宮沢喜一、渡辺美智雄らに後継総理になるよう説得されたが、何故か固持する。 時に小沢49歳。  その後、自民党が分裂し、小沢自身も自民党を離脱するとともに政権の座は遠のいた。 小沢の政治能力を高く買っていた評論家の江藤淳がこれを惜しみ、「帰りなんいざ 田園将に蕪れなんとす」と言う陶淵明の詩に託し、地元の岩手に帰って捲土重来を期すよう励ましたことを憶えている。

 小沢は政治局面で誰にも負けない豪腕を発揮するが、権謀術策が表に出過ぎて、彼自身の政治理念が奈辺にあるかよく見えない。 参院選勝利後のテロ特措法反対声明がそうだ。 ここで一気に与党を追い込もうという狙いであろうが、国内の権力闘争に外交を用いるのは危うい限り。 やってはいけない禁じ手である。

 自民離脱後の小沢は、新生党、新進党、自由党など次々に新しい政治勢力を結集するが、腕力ばかりが空回りし、一向に政権の座は近づいてこない。 術策先行で理念が見えないからだろう。 一時嫌っていた公明党と接近した小沢を江藤淳がいぶかって、「大事(政権獲得)のためであり、魂まで売ったわけではないと信じる」と、痛切な思いを文藝春秋に書いた。 その後の流れを見ると、江藤が懸念したとおり軒を貸して母屋を乗っ取られたに等しい状況が続いている。 理念無き権力闘争の結果である。

 小沢ほどの練達の政治家であれば、今の世界情勢の中でテロ特措法を破棄に追い込むのが誤りであることは十二分に分かっているはずだ。 それにもかかわらず小沢がこういう行動に出るのは、国民に与える刹那的な快感を計算しているからに違いない。 長年のアメリカ追従に飽きた国民は、小沢のやり方に溜飲を下げた。 小沢一郎の政治能力は大いに買うにしても、こういう浅薄なポピュリズムは感心しない。 アメリカに正義はないとか、アメリカの言いなりにはならないなどと、多くの国民が小沢のやりかたに拍手喝采を送っているのは気懸かりである。 外交は正義や倫理でなく損得の世界である。 正義であろうと無かろうと、日本のような小国は時々の世界の大国とうまく折り合わなければ生きていけない。 そのことは60年前の戦争で身に凍みて知った教訓のはずだ。 テロ特措法は、正義でなく損得で推し量るべき問題である。

   国内政策に関しては自民党も民主党もいずれも一幅の絵。 大差はない。 民主党が外交、国家安全保障でしっかりした政策を持てるようになったとき、初めて二大政党政治が実現するのだろう。  

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