【伝蔵荘日誌】

2007年7月1日: 岡田英弘著「歴史とは何か」を読み返す。 T.G.

   先週アメリカ下院が出した従軍慰安婦非難決議や沖縄戦に関する教科書書き換え問題がニュースになっている。 どちらも日本人にえもいわれぬ不快感、脱力感を醸し出している。 いずれも歴史認識が主題のように見えて、よくよく考えるとそうではない。 一種の感情論の応酬になっていることが問題を難しくしている。

 岡田英弘著「歴史とは何か」(文芸春秋社)は以前読んだ本で、文庫本の小冊子ながら歴史に関して小生の目の鱗を落としてくれた。 大学の先輩に、「僕は未来にしか関心がないが、君は過去に引っ張られているようだ」と言われたことがある。 言われてみると最近の読書は歴史がらみが多い。 これらの問題を考える上でこの本を読み返してみた。
 話は違うが、この日誌を読まれた松木君の姉上は、「後藤君は偏っている」と評されたそうだ。  おそらく右にと言う意味に違いない。

 著者によると、国民国家が誕生する18世紀末まで、世界に歴史は二通りしかなかった。 一つは司馬遷が紀元前一世紀に書いた「史記」、もう一つは同じく紀元前4世紀に古代ギリシャのヘロドトスが書いた「歴史(ヒストリアイ)」である。
 史記は前漢皇帝、武帝の正統を語る“物語”で、終始一貫その視点で歴史を記述している。 王朝が変われば新たな皇帝の正統性をベースに記述を書き改めるから、古来中国には一貫した歴史がない。 今の中華人民共和国の歴史観もこの延長である。

   対するヘロドトスの歴史は、@世界は変化するもの、A変化は勢力の対立、抗争から生まれる、Bヨーロッパ(ギリシャ)とアジア(ペルシャ)は永遠に対立する二大勢力、と言う視点に立ち、世界の変化を客観的に物語る。 歴史(ヒストリー)の語源になった“ヒストリアイ”は古代ギリシャ語で“調査研究”を意味する言葉だそうだ。
 ちなみに元来中国には歴史とか国家、民族という概念も熟語もなく、これらの用語はすべて明治維新後に日本が発明した和製漢語を借用しているのだと言う。

 ヘロドトス流の歴史はヨーロッパで広がり、今では歴史というとおおむねこちらの方を指す。 中国文化の影響を受けた日本初の歴史書「日本書紀」は、天皇の正統性をテーマに記述された司馬遷流歴史書である。 今の日本人はヘロドトス流の歴史が当たり前のように感じているが、そうなったのは明治維新後、教育に西欧の学問を取り入れて以来、わずか150年のことだと言う。

 著者によると、アメリカ合衆国は歴史を否定して生まれた国で、世界で唯一歴史のない文明だという。 国民の多くは歴史を知らないし、歴史には関心がない。 物事を歴史に照らして考える習慣がない。 だから日本やヨーロッパなど、歴史のある国との交渉ではしばしば摩擦が起きる。 近いところでは80年代の経済摩擦がそうだ。 多くのアメリカ人は歴史に無関心なので、歴史のある文明国の外国人が現在の世界を見る際に、過去にまで視野に入れるのは“はなはだ異様に感じる”のだそうだ。 こういう感覚は歴史にどっぷり浸かった日本人やヨーロッパ人には理解出来ない。

 従軍慰安婦問題に関するアメリカと日本のすれ違いはおそらくここにあるのだろう。 日本人は歴史問題だと思って、ヘロドトス流に史実を検証しながら議論、反駁しようとする。 方やアメリカはそういう反駁を“異様なもの”と感じる。 「俺たちは歴史の議論をしているのではない。 お前らの不道徳さが不愉快なので非難しているだけだ」と思っている。 歴史認識で“誤魔化そうとする”日本人を卑怯だと感じている。 こうなるとまさにすれ違いで、出口は見つからない。 政治家や評論家など一部有志がワシントンポスト紙に、「従軍慰安婦は確かに存在したが、日本軍が強制連行した事実はない」と意見広告を出したら、それまで決議案に反対していた議員らも賛成に回ったらしい。 俺たちの感情を逆なでするのかというわけである。

 以前の日記にも書いたが、アメリカ人にとってこの問題はまったくの感情論に過ぎない。 だから日本がこの問題を歴史認識にもとづいて議論しようとするのは無意味である。 意味がないことをするのは間違いなのだから、即刻やめるべきである。 イギリスやフランスなどヨーロッパの老獪な国々はそのことをよく知っているから、アメリカに無駄な歴史議論をふっかけない。 フランスとドイツがイラク問題についてアメリカと袂を分かったときの論法を見ているとよく分かる。 日本人はいつそれに気がつくのだろう。 従軍慰安婦問題は中国や韓国がアメリカに対するロビー活動で作り上げた創作である。 その際彼らは歴史をそっちのけにして、情緒と感情論だけで押し切った。 アメリカ下院委員会では日本軍による強制連行の証拠書類ではなく、元従軍慰安婦と称する老婆を出廷させ、哀れな思い出話を壊れたレコードのように繰り返させた。 アメリカ人を説得するにはこれがいちばん効き目がある。

 この中国のアメリカに対するロビー活動は、日中戦争時に蒋介石が行ったロビー活動とまったく同じである。 あの時も蒋介石は歴史を持ち込まず、アメリカ育ちで英語の達者な三番目の妻、美齢をワシントンに送り込み、日本軍の残虐非道さを縷々訴えさせた。 アメリカを対日戦争に引っ張り込んだのは、真珠湾攻撃よりこの方が効果が大きかったと言われる。 日本人はいつになったらそう言う大人の手練手管を学ぶのだろう。 

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