【伝蔵荘日誌】

2007年6月18日: 夏目漱石講演速記録を読む。

 トイレの本棚に置いてある5月号の文藝春秋を読み返していたら、「初公開、よみがえる文豪の肉声」とタイトルの付いた夏目漱石の講演速記録を見つけた。 トイレの読書はなかなか快適で, やりつけると癖になる。

 明治41年2月に神田の青年会館で行われた「作家の態度」と銘打った講演である。 記事解説によると漱石は几帳面な人で、やりっ放しの講演速記をそのまま活字にすることを好まず、きちんと原稿化しないと気がすまなかったという。 この講演も事後漱石自身が推敲し原稿に改め、雑誌「ほととぎす」に「創作家の態度」として発表されていると言うが、読んだことはない。。

 しばしば経験することだが、話し言葉をそのまま文章にすると、どうしても脈絡が乱れ、論理の流れが不正確になる。 主語と述語が食い違って意味不明になる。 しゃべっている最中に思考があちこちへ飛び、口の方が追いつかないからだ。 雑誌の座談会なんか、速記をそのまま文章に起こしたら読めたものではないという。 事後編集者が手を加え意味が通じるように意訳修文しているから、原文とは違うし、もはや肉声とは言えない。 この速記録を読んでみると、漱石のような希代の名文家の講演速記でも多分にその傾向がある。 それだけに臨場感があり、生漱石の肉声が感じられて面白い。 明治41年頃のインテリの話し言葉の雰囲気も分かる。

 速記録を読んで驚くのは、漱石が英単語を実に多用していることだ。 「…片方は知識を与える、インホーメーション(information)を与える表現方法、片方はセンチメント(sentiment)を付与するための表現方法…」とか、「…その中でもセンペラル(temporal)、時に関係したことは連続した意識のフィクセーションポイント(fixation point)が連なるわけです。」などと頻繁に横文字が出てくる。 今どきの講演ならごく普通のことだが、これが明治41年の講演と思うといささか驚かされる。 日本人の英語教育は維新後しばらく経って始まったもので、ほんの2〜30年の積み上げしかない。 それなのに一般にこれほど横文字文化が広がっていたのだろうか。 漱石はロンドン留学経験もあるれっきとした英語の先生だが、インテリとはいえ一般の聴衆がこのような英単語を日常的に使用し、聞き分けていたとは驚きだ。 “Information”などという英語は日本語に相当する概念がないので、いまだにこなれた日本語訳が出来ない。 漱石ですら“知識”と“誤訳”している。 多分明治41年にはまだ“情報”という今どきはやりの造語がなかったのだろう。

 講演の中程で、“文学で人間の主情を書くと誤りやすい”事例として自らの夫婦観を述べているくだりが面白い。

  『夫婦仲がむつまじいように見せて、互いの気まずいところは背景に引っ込んでいるからいいようなもの、実はそうじゃない。 よく考えてみると、−考えなくてもいいんだけれど、やはり気まずいところもあれば気にくわないところもあります。  離縁したくなってみたり、里へ帰りたくなったりすることが週に一度はある。 確かに私の経験ではそうなんだけど、それをぶちまければ憤然として怒る。 妻はそんなことありません、とか何とか理屈を言います。 よく考えろ、考えたってそんなことありません、と何を言っても肯きません。 つまり自分で自分を欺いて賢妻だと思っているんですね。』

 漱石は鬱病になるほど気むずかしい人だったと言う。 文学論の解説に用いた例だったとしても、実に微に入り細にわたった具体的な表現である。 おそらくこれに近い夫婦喧嘩をたびたびしていたに違いない。 誰でもしゃべり言葉には地が出るものだ。 

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