伝蔵荘日誌
             【伝蔵荘日誌】

2007年5月22日:「マオ、誰も知らなかった毛沢東」を読む 。 T.G.

 かねて読みたいと思っていた「マオ、誰も知らなかった毛沢東(上巻)」(ユン・チュアン、ジョン・ハリディ共著、講談社)を読む。上巻だけで600ページ近い大著。読むのが一苦労である。それにも増して、書かれている中身がいかにも中国的な権謀術策のオンパレード。陰々滅々たる暗さで、読んでいて気分が滅入る。共著の一人ユン・チュアンは14歳で紅衛兵として文化大革命を経験し、後に留学生としてイギリスに渡った女性である。1991年の著書「ワイルド・スワン」は全世界で一千万部以上を売り上げたベストセラーになった。この著書も10年余にわたる念入りな調査と取材で中国皇帝毛沢東の知られざる実像をあばいて評判になっている。

 一読して驚かされるのは、これまで抗日の英雄と見なされてきたが毛沢東が、蒋介石の国民党軍との戦いの戦略として、日本軍が中国を広範に占領する展開を望んでいたと言うことだ。さらに中国共産党の後ろ盾であるスターリンに干渉させ、ソ連と日本に中国を分割支配させる状況を作り出そうと画策したとも言う。対する国民党軍も、その創始者である孫文は、ソ連から武器弾薬の提供を受けるために、ソ連に外モンゴル占領を認め、新疆から中国中心部の四川省成都あたりまで侵攻して欲しいと提案していたと言うから驚く。彼の後継者の蒋介石も、日本軍や共産党軍に対抗するため、アメリカに対し同じ様なへつらいをしている。ライバルとの権力闘争の術策とはいえ、独立運動にとって、一歩間違えば国土を他国に蹂躙させかねない禁じ手を両陣営とも使っている。三国志さながらの権謀術策に明け暮れた中国建国の暗い裏面史であり、国の成り立ちからして今日現在の中華人民共和国の骨格にも影響しているだろう。

 日本も明治維新の折、幕府と薩長土肥が覇権争いで権謀術策を戦わせた。いずれの陣営にもイギリスやフランスなど強国が虎視眈々と寄り添い、利権獲得を狙って“悪魔の囁き”をした。しかし幕府も薩長側もそれを見事に拒絶している。明治維新の指導者達は、いかに苦しかろうとも他国を引き入れ、国土を売ることをしなかった。必要な軍艦や武器弾薬は高い金を払って購入した。中国はまったく違う。ライバルに勝つためには悪魔に魂を売るようなことを平気でしている。“運良く”日本が負けたから良かったものの、そうでなかったら今頃中華人民共和国は存在しなかっただろう。何らかの形で存在したとしても、多くの国土をソ連や日本やアメリカに分断支配されていただろう。支那大陸は今も変わらず列強の草刈り場であったであろう。

 上巻は毛沢東が生まれてから国民党を追い払い共産中国を建国する1947年までを描いている。建国前後の毛沢東による反対勢力の弾圧と恐怖政治は凄まじい。内戦に勝利した直後だけでも、拷問や処刑で延べ数百万人を殺していると言う。凄まじい数字である。この時期、毛沢東の冷酷な弾圧を間近に見たソ連の外交官は、「初期の弾圧だけで、殺害された国民の数は国共内戦の犠牲者をはるかに上回る」と述べている。

 国民党軍との内戦もむごたらしいものだった。末期の1948年、国民党軍が死守する長春を攻めた毛沢東は、「長春を死城にせよ」と言う指令を出し、兵糧攻めにした。食糧が尽き、飢えて脱出を懇願する市民をむりやり城内に押し戻したという。そのため城内にいた50万人の一般市民のほとんどが餓死した。文化大革命経験者の中国人である著者のユン・チュアンでさえ、「日本軍の南京虐殺を最大限に見積もっても、それをはるかに上回る犠牲者を出した」と書いている。勝利後、城内に入った人民解放軍の兵士は、足の踏み場もないほど積み重なり、あふれかえった餓死者を見て、そのむごたらしさに打ちのめされたと言う。内戦の指導者とはいえ、兵士ではない一般市民である自国民を、このような残忍な方法で大虐殺出来る毛沢東とは、いったいどんな男なのか。

 本書によれば、毛沢東は建国以来死ぬまでの27年間、中国の独裁者として権力をふるい、国富を私物化し(私物化については様々なデータが残っている)、全国に豪華な別荘を50以上建てさせ、国民には禁欲を強いながら、自らはセックスを享楽するためのハーレムを作らせ、体制維持のため優に2千万人以上の自国民を処刑したという。さらに、史上稀な愚行である文化大革命の犠牲者は7千万人に達するという。まことに凄まじい数字である。こういうとてつもなく我が儘で、冷酷無比な国家指導者を、いまだに国父と仰ぐ中国の人達は、はたして幸福なのだろうか?

 中華人民共和国建国以降を書く下巻のクライマックスは、おそらく文化大革命とその混乱だろう。自らが紅衛兵であった著者は、この壮大な愚行をどのように書いているのだろうか。

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