【伝蔵荘日誌】
2007年4月14日: 立花隆のメディアソシオ−ポリティックスを読む。 T.G.

 日経BPnetから送られてきた立花隆のメディアソシオ−ポリティックスを読む。 今回の表題は「改憲を狙う国民投票法案の愚、憲法第9条のリアルな価値問え」とある。 小生は改憲賛成の立場だが、希代の評論家が言う「9条のリアルな価値」とはどのようなものか、興味を引かれて読み進んだ。  結論を先に言っては実も蓋もないが、ほとんどが他人の文章の引用で、評論家立花自身の主張は皆無に近い。

【文春の細川記事】
  その引用も昭和30年に細川隆元氏が文藝春秋に書いた50年以上も昔の古い雑誌記事である。  細川氏は朝日新聞のOBで、テレビや新聞で政治評論を行っていた人物である。  記事の内容は現憲法9条の戦争放棄条項が占領軍マッカーサーの押しつけか、当時の幣原首相の手になるものかという憲法成立に関する内幕記事である。  細川はこの記事でいろいろな説を併記し、結論付けてはいないが、幣原内閣で戦争調査会長官を務めた青木得三氏が幣原自身から聞いたという、『今日我々は戦争放棄の宣言を揚ぐる大旗をかざして国際政局の広漠たる野原を単独に進み行くのであるけれども、世界は早晩戦争の惨禍に目を覚まし、結局私共と同じ旗をかざして遥か後方についてくる時代が現われるであろう。 私はそれを墓地の蔭から見たいと思う』と言う述懐を挙げて幣原発案説に傾いている。

【9条のリアルな価値?】
 当時朝日新聞などリベラル勢力は吉田首相が進める再軍備に反対していた。 朝日的バイアスのかかった細川記事はともかくとして、失望するのは立花氏ともあろう人物がたったそれだけを根拠に憲法9条の“リアルな価値”と言い切っていることだ。 読み落としがないかつぶさに読み返してもそれ以上の記述は見つからない。 細川記事の長い引用の後、彼自身の結論は次のように書かれている。

『いま大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく、9条が日本という国家の存在に対して持ってきたリアルな価値を冷静に評価することである。 そして、9条をもちつづけたほうが日本という国家の未来にとって有利なのか、それともそれをいま捨ててしまうほうが有利なのかを冷静に判断することである。 私は9条あったればこそ、日本というひ弱な国がこのような苛酷な国際環境の中で、かくも繁栄しつつ生き延びることができた根本条件だったと思っている。 9条がなければ、日本はとっくにアメリカの属国になっていたろう。 あるいは、かつてのソ連ないし、かつての中国ないし、北朝鮮といった日本を敵視してきた国家の侵略を受けていただろう。 9条を捨てることは、国家の繁栄を捨てることである。 国家の誇りを捨てることである。 9条を堅持するかぎり、日本は国際社会の中で、独自のリスペクト(ママ)を集め、独自の歩みをつづけることができる。 9条を捨てて「普通の国」になろうなどという主張をする人は、ただのオロカモノ(ママ)である。』

 どこを探しても“9条のリアルな価値”など書かれていない。 せいぜい、“もしなかったらアメリカの属国になっていた”、とか、“ソ連、中国、北朝鮮の侵略を受けていた”、と言うようなお粗末な論理で、歴史家にとってのタブーである歴史のイフでしかない。 それもかなり的はずれなイフである。 さらに“9条の存在が世界中のリスペクトを集めている”という指摘に至っては、今日現在の混迷を極める世界情勢から目をそらした自閉症的思いこみとしか思えない。 これが知の巨人と言われる人物の知的水準かと目を覆いたくなる。

【幣原外交の意味】
 細川や立花氏が盛んに持ち上げる幣原喜重郎は戦前歴代内閣の外務大臣を務めた人物である。 戦後親英米姿勢を買われて首相になり、在任中に現憲法が発布された。 戦前、加藤、若槻両内閣の元でワシントン軍縮条約をまとめ、英米との協調、中国への内政不干渉を唱えるなど、その穏健な協調姿勢が“幣原外交”と評されている。 また彼の時代に、今にして思えば日本の生命線とも言えた日英同盟を破棄している。 彼の理想主義的外交は植民地帝国主義全盛の当時の世界情勢にマッチせず、やがて行き詰まる。 特に南京事件に対して取った外交姿勢は内外から批判を浴びた。 1927年、蒋介石の国民党軍が南京に入り各国の共同租界を武力接収したとき、英米などから共同出兵を求められたが、幣原は内政不干渉を理由に応じなかった。  この南京事件以後、英米日はバラバラとなり、幣原の対中協調政策にもかかわらず、中国革命の矛先は日本に向けられくる。 国内的にも軟弱外交と非難を浴び、その後起きた満州事変の収拾も出来ず失脚した。 彼の理想主義外交の失敗は、ヒットラーに対する宥和政策で第二次世界大戦を招いたイギリス首相チェンバレンに似ている。 理想だけでは外交は出来ない見本と言えよう。

 立花氏が言う9条のリアルな価値とはこのような当事者能力を欠いた理想主義を言うのであろうか。 幣原が生前語った『世界は早晩戦争の惨禍に目を覚まし、結局私共と同じ旗をかざして遥か後方についてくる時代が現われるであろう。』と言う述懐の空虚さに似ている。

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