【伝蔵荘日誌】
2007年3月16日: ライブドア事件の判決を聞いて。 T.G.

【ライブドアと日興證券】
 テレビのニュースでライブドア事件の堀江被告に懲役2年6ヶ月の有罪判決が出たと報じている。 あに図らんやと思える判決だが、最近問題になった日興コーディアルの扱いと比較して著しくバランスを欠いた感は否めない。 株価操作のための有価証券報告書虚偽記載を問うとすれば、日興の方がはるかに罪深い。 それなのに片方は懲役刑、もう片方は上場廃止もされず無罪放免である。 いくら何でも片手落ちだろう。 ライブドアよりはるかに規模の大きい日興コーディアルは、政財界を含めた権力構造にしっかり組み込まれているからとしか思えない。 法の下の平等はどこへ消えてしまったのか。 国旗、国歌裁判の時と同じく、東京地裁は時々こういうおかしな判決を出す。

【グリーンカードシステム】
 日本の法治に最も失望したのはかってのグリーンカードシステムである。 国民の大方は何のことか忘れているだろうが、当時俗にトーゴーサンと言われる課税所得把握の不公平が社会問題になり、これを抜本的に解決するため国税庁が鋭意導入を図ったシステムである。 国民と企業、団体すべてにユニークな番号を付与し、全国で発生するすべての所得にその番号を付け、国税庁の大型コンピュータに記録する。 その番号をキーにして所得の名寄せが出来るから、所得隠しはほぼ不可能という画期的なものであった。
 昭和55年に国会に提出されたこの法案は、与野党ともにさしたる反対もなく衆参両院を通過し成立した。 国税庁は処理に必要な大型コンピュータを調達し、朝霞に巨大センターを建設し、膨大なコストをかけて処理プログラムを完成させた。 1億2千万枚のグリーンカード(表紙のデザインが緑色だったのでそう呼ばれた)の印刷も終えて後は納税者に配布するだけとなった。

 サービス開始直前になってこのシステムが国会で問題になる。 所得を丸裸にされることを怖れた財界や資産家達から突き上げられて、当時の自民党幹事長金丸進が異論を唱えはじめる。 例の所得隠しのために自宅の金庫に金の延べ棒を隠匿していた汚い男だ。 経済活動が萎縮するなどとわけの分からぬ屁理屈を付けて反対を唱え始める。 自分で作った法律なのに。 その動きが一気に広がって、自民はもとより社会、共産まで含めた反対の大合唱が起きる。 挙げ句の果てに再度国会で審議し、むりやり廃案にしてしまった。 国会で成立した法案が一度も施行されることなく廃案になったのは、明治維新以来初めてのことだと国税庁のお役人が嘆いていたのを覚えている。 なぜこんなことをつぶさに覚えているかというと、当時コンピュータメーカーに在職し、システムの受注合戦に当たっていた当事者だからである。

【グリーンカード廃案と政治資金】
 いったい国会議員達は55年の国会で何を審議していたのか。 自分たちで成立させた法案を、実施もさせず自らの手でつぶすとはいったいどういうことか。 自民党はおろか、野党の社会党も共産党も賛成に回ったほぼ全会一致の法案だというのに。 おそらく議員達は審議しているシステムの中身や威力を知らなかったのだ。 人に言われて所得の完全捕捉が一般国民や企業だけでなく、自分たち政党や後援団体や支援者までに及ぶことに遅まきながら気が付いたのだ。 愚かとしか言いようがない。

 都合の悪さは与党自民党だけでなく、革新政党の社会党も共産党もまったく同じである。 いずこの党も政治資金や政党の会計処理は不透明の極み、魑魅魍魎の世界である。 そのごく一端が今問題になっている松岡農林大臣の還元水騒動だ。 さすがに社会党や共産党は所得のガラス張りに異を唱えることが出来ず、グリーンカードが実質的に国民総背番号制であることを材料に攻撃した。 国民総背番号はアメリカはじめ先進国では当たり前のことで、非難されるべきものではない。 そもそも自分たちが賛成して成立させた法案だろう。 よくもぬけぬけ言えるものである。 革新政党の偽善性がよく分かる。

 もしこのときグリーンカードが実施に移されていたら、課税の公平だけでなくいろいろな行財政改革の有効なツールになっていたことは間違いない。 評判のよくない住民基本台帳など不要だったであろうし、年金制度の抜本改革も容易になっただろう。 こういうものを潰しておいて行財政改革を唱えるのはもはや偽善である。

【日本の法治制度の欺瞞】
 そのことよりも失望するのは日本国の法治制度のいい加減さである。 ライブドア裁判もグリーンカードシステム廃案も司法立法行政三権の都合と恣意で行われているとしか思えない。 日本人は中国や北朝鮮が法治国家ではなく人治主義国家であることを嗤うが、これでは本質的に変わらない。やり方が巧妙なだけである。 昨今体制側に都合のよい司法、行政の事例があまりにも多すぎる。 これでは日本人の遵法精神を損なうばかりだ。 東京地裁はともかくとして、上級審はもっとバランスのとれた裁判を行うべきだろう。 ホリエモンが正しいと言っているわけではない。

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