【伝蔵荘日誌】
2007年3月8日: 従軍慰安婦問題を考える。 T.G.

【慰安婦問題と政府の対応】
 先週あたりから従軍慰安婦問題が喧しい。 慰安婦だったという韓国女性がアメリカ下院議員に焚きつけて非難決議を出させる動きがニューヨークタイムスなどで報道され、日本にも飛び火した。 古今東西どこの国の軍隊にも売春婦は付き物だから慰安婦自体が非難されるわけではない。 日本軍に限って公権力を行使して自ら強制連行した“従軍慰安婦”が存在したかどうかの問題である。 いろいろな傍証、客観証拠を吟味してそう言う事実はなかった可能性が強いが、南京大虐殺と同じで70年も昔のことを今さら証明するのは難しい。 古来やったことの証明は容易だが、やらなかったことの証明は容易でない。 すべての可能性を否定しなければならない、いわゆる“悪魔の証明”だからだ。

 騒ぎが大きくなって政治家もマスコミも慌てだしチェいる。 安部総理や塩崎官房長官などは事実を否定しながら河野談話は踏襲するなどと矛盾したことを言う。 山崎拓議員に至っては慰安婦自体は存在したのだから強制か否かを議論すべきでないなどと意味不明の妄言を吐く。 マスコミも朝日、毎日の肯定派と読売、産経の否定派の真っ二つに分かれている。 腰の座らぬ民主、社民、共産は論外である。

【国家の謝罪と国益】
 イジメられっ子の日本が右往左往している間に、肝心の強制連行があったかなかったかの本質論はどこかへ消えてしまった。 なぜこんなおかしなことになったかと言えば日本の外交力の問題だろう。 そもそも外交というのは胆力である。 胆力とはいったん国益が何たるかを定めたら他国が何と言おうと絶対に軸をぶらさない国家の精神力である。 日本以外の国はすべてそうしている。
 
アメリカはベトナムやイラクで犯した愚行を内々反省しながら他国に陳謝したことはない。 イギリスはインドやビルマや香港などの植民地における数々の悪行を謝罪したことなど一度もない。 ドイツはホロコーストをぬけぬけとヒトラーとナチの犯罪に押しつけ、ドイツ国家を免責にした。 中国は何の正当性もなくチベットを侵略し、数十万人のチベット人を虐殺した明々白々の事実を世界に認めたことはない。 北朝鮮は拉致を一部の盲動者の罪とし、国家の責任は一切否定している。 善し悪しは別としてそれが国家というものである。

 ありもしない従軍慰安婦の強制連行を政府自ら認め、わざわざ他国に謝罪した河野談話は世界の珍事である。 綸言汗のごとしだ。 一国の代表が世界に謝罪したことを今さら否定するのは難しい。 だからどこの国も例え事実であっても不用意に謝罪などしない。 国家間には倫理や正義などと言うセンチメンタリズムは通用しない。 あるのは互いの国益、いわば損得だけである。 謝罪するとすればそれがさらに大きな国家利益に繋がる場合に限られる。 日本の場合、従軍慰安婦を認め謝罪することでどんな利益が生まれるのか。 その意味で、確たる証拠もなく中韓の反日圧力に押されて慰安婦問題を認めた河野洋平という男は政治家としての資質が疑われる。 今頃国益の何たるかを考えず右往左往している他の政治家やマスコミも同じだ。 百歩譲って事実だったとして、今さら謝罪してどんな国益に繋がるというのか。

【日本のとるべき道】
 日本にとっての最善策は一連の動きを一切無視することだろう。 迎合は論外だが反論も無意味である。 国会で議論するなどもってのほかだ。理路整然と反証されて、分かりましたと引き下がる相手ではない。 反論すること自体彼らの術中に嵌ることになる。 騒ぎ立てている連中はアメリカの議員や新聞も含めて日本の国益利益など眼中にない。 そう言う連中と言い争っても何ら益がない。

 しかし非難の矢面に立ちながら平然と無視を続けるのは容易なことではない。 国家も国民も相当の覚悟、胆力が要る。 政治家やマスコミはもちろんのこと、一般国民も妙な贖罪意識に駆られてものを言ってはいけない。 こういうことに関してはイギリスを見習うとよい。 中近東問題を始め今日現在世界中のトラブルの大半はかの国の植民地政策から生まれた。 それに対してイギリス政府や国民が謝罪したことなど一度もない。 上から下までものの見事に無視を通している。

  イギリスは99年間植民地支配を続けた香港をもったいを付けて中国に返した。 中国は有り難く返還を受けた。 日本にはことあるごとに謝罪を要求する中国も、イギリスに対し同じ態度を取ったことがない。 相手にされないから言っても無駄と分かっているのだ。
 イギリスのみならず世界の大国はそういうことに長けているが、日本国と日本人はまったく下手だ。  肝心の時に情緒やセンチメンタリズムで動く傾向がある。先の戦争をはじめ、明治以降の日本の外交の失敗はほとんどこれから生まれている。 いま降りかかっている中韓の反日圧力や北朝鮮問題も同じことで、日本国の胆力が問われている。 

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