【伝蔵荘日誌】
2007年3月1日: チベットの標高6700mの峠 T.G.

【標高6700mの峠】
 佐藤君からメールが届いた。 写真が貼付されていて、こがどこか分かるかという。 登山用品のカタログに載っていた写真だそうだ。 見るとチベットらしい風景の中に立派な石碑が写っていて、「区界碑、海抜6700m」とある。 漢字で書かれいるところを見ると中国領であることは間違いなさそうだ。 “区界”はおそらくチベット自治区の境界の意味だろう。 後方の草原にヤクか羊が放牧されているのが見える。

 それにしてもおかしい。 チベットで6700mもの高さの峠なんて聞いたことがない。 この風景が標高6700mであるはずがない。 一昨年チベットの奥地を車で2000キロほど走ったが、そのときの経験ではいいところせいぜい5000m程度の風景である。 その程度の峠ならチベットにはいくらもある。 チベットでも6700mの高さに草は生えていないし、家畜が放牧されていることなどあり得ない。 この場所が6700mだとすると後ろの小高い丘は優に7000mは下らない。 いくらチベットでも7000mは氷雪の高山である。

【区界碑の真相】
 しばらくしてこのメールを見た及川君からこんな文献を見つけましたとURLが送られてきた。  伊藤心さんという冒険家のブログで、自転車で世界一周する途中、チベットから新疆ウイグル地区への道程部分である。 くだんの石碑の写真も載っている。 これを読んで疑問が一挙に氷解した。 その記述を著者に断りもなく引用させて貰うと次のようである。

『…スムシを出ると緩やかぁ〜な上りが続きました。 走行開始10kmほどで、なだらかな峠の頂に到着。一旦、下り、再び同じ高さまで登ると、見えてきました!噂の『区界碑』!! 何が噂かっていうと、その碑文の文字です。  凄いでしょう!?6700mって言ったら、富士山(3,776m)はもちろんのこと、アフリカ最高峰・キリマンジャロ山(5,895m)よりも、北米最高峰・マッキンリー山(6194m)よりも高く、カイラース山(6,656m)を僅かに上回り、南米最高峰・アコンカグア山(6960m)に迫る海抜ですよ!?私の鍛え上げられた心臓と脚力があってこそ登ってこれる極限の世界です!!
 なんて、これ嘘っぱちです。  これだから中国ってのは…。 実際の標高は、5050〜5100mぐらい。 こんな立派な石碑を作っておいて、1600mも過剰表示をするなんて、そんなにしてまで世界一高い場所を走る国道にしたいのでしょうか?  しかし、ここまで堂々と、しかも1600mもの上乗せをしてしまえる中国人の思考って、ある意味『偉大だなぁ〜』と思ってしまうのは私だけでしょうか。…』 
        
【政治地域チベット】
 このブログを見た佐藤君からチベットの旅行案内書の地図が送られてきた。 それを見るとこの区界碑が建っている場所はチベット自治区と新疆ウイグル自治区の境にあるアクサイチンという地域で、インドとの国境紛争地帯でもある。 この旅行地図にはわざわざ「中国実効支配」地域と記されている。 インドがいまだ領有権を放棄しているわけではないと言うことだ。

 チベットも新疆ウイグルも独立運動醒めやらぬ中国にとって悩ましい地域である。 ましてや隣国インドとの領土紛争を抱えている政治地域である。 他国の旅行案内書にさえ中国領土とは書かれず、「軍事力でむりやり実効支配している地域」と書かれる。 このような特殊な政治地域であるからこそ、中国政府は金をかけて無人の高地にこんな立派な境界碑を作ったのだろう。 そういうセンシティブ極まりない建造物であれば普通の国なら細心の注意を払って正確を期すところだが、中国政府自ら標高を1600mも偽った、誰にでも分かる真っ赤な嘘を書く。 その挙げ句に旅行者にまでからかわれる。 中国というのはなんともわけの分からぬ国だ。  

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