2006年11月15日:ヘルマン・ヘッセ「わが心の故郷、アルプス南麓の村」を読む。 T.G

 本棚からヘルマン・ヘッセの「我が心の故郷、アルプス南麓の村」(草思社)を取り出して読む。 この本はヘッセが晩年を過ごした南スイスのテッスィーンでの日々を書いたものだが、全編が水彩画のような美しい散文詩である。 どこを取り出して読んでも一幅の絵のようで気分が休まる。旅行の時、空港での待合い時間などに読んだりするのに最適である。 今日読み返したのは「テッスィーンの夏の夜」。 村はずれの森の中にあるグロット(穴蔵酒場)での情景だ。

『長い炎暑と日照りの後、一雨やってきた。 雷鳴が午後中ずっと鳴り響き、雹がぱらぱらと音を立てて降ってきて、はじめ息が詰まるような蒸し暑い蒸気が立ちこめた後、穏やかな冷気が広がり、いたるところ土や石や木の葉の臭いがして、夕方になった。 山の日陰になる森の中に、幾つかのグロット(穴蔵酒場)がある。 これは村の地下ワイン酒場で、こびとの住んでいる小さな幻想的なおとぎの国さながらに、ぜんぜん奥行きのない、小さな破風作りの石の家の正面だけが見えている。 屋根と家は地中に姿を隠していて、岩の地下室には灰色の樽につめられたワインが貯えられている。 去年の秋のワインと一昨年の秋のワインはあるけれど、それ以上古いものはない。
   ……
私達がバラ色のワインを青い陶器のカップに注いでいる間、下の方で踊っている人達の姿がしだいに影のようになっていく。 マリアよ、お前の赤い服も今は沈んでいき、暗闇の中におぼれてしまう。 白い、青白い花のような顔も消えて、玄関ホールの赤い光だけが一段と輝きを増す。 そしてこれもまた消えてしまわないうちに私達は立ち去る。』

 ヘッセはノーベル文学賞も受賞したドイツの代表的作家だが、第一次大戦後のドイツの状況に絶望し、家族と別れてスイスの国籍を取り、単身移り住んだ。 アルプス南麓のテッスィーン州、モンタニョーラ村に居を構え、文筆活動を再開した。この地に43年住み続け、骨を埋めた。 ドイツ時代には、戦争捕虜援護センターを創設したり、反戦的評論を新聞に発表したりして、売国奴とか故郷の誹謗者などと非難、弾劾を浴びている。 その結果でもあるのだろうが、妻や彼自身も精神を病み、苦悩の日々を送っていたようだ。我々が子供の頃、文学少年必読の書だった「車輪の下」などはドイツ時代の作品だが、ノーベル賞の対象になった「ガラス玉演戯」など、晩年の代表作の多くがこのテッスィーン時代に書かれている。
 戦前の日本にも「蟹工船」の小林多喜二など反体制のプロレタリア作家がいたが、あまりにもイデオロギーに偏りすぎた内容で文学的普遍性に乏しく、今ではほとんど読まれない。 文章の美しさも作家としての苦悩もまるで伝わってこない。 ヘッセとは大違いである。 残念なことだ。

 この書にはヘッセ自身が描いた南アルプス山麓の風景水彩画が収録されている。 また文章の合間に幾つかの詩が加えられている。 いずれも淡く美しい作品で、しっとりした南アルプスの村々の情景が描かれている。

      『夏の夜のテッスィーンの酒場前』
     プラタナスの幹にまだ光が戯れている
     高い枝と葉の天蓋を通してまだ青空が覗き
     ワインの中に映っている 森の中では子供達と
     姿は見えぬがひとりの女と話している
     谷間の村からここまで 日曜日らしく
     音楽が響いてきて 汗の臭いを伝える
     あちらの村では傾いた日差しを浴びて
     日曜の世界が まだ重たく熱く蒸気を立てている
      ……

 一度テッスィーンを訪れて、ひんやりしたグロットの中でワインを飲みたいものだ。

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