2006年10月3日: 立花隆の「メディア・ソシオ-ポリティックス」を読む。 T.G.

【妖怪岸信介のDNA】
 インターネットで立花隆が日経BPnetに連載している「メディア・ソシオ-ポリティックス」を読む。 9月29日号は「新総理安部晋三が受け継ぐ妖怪岸信介の危険なDNA」とある。 “知の巨人”らしからぬ、三流週刊誌並みのおどろおどろしいタイトルである。 タイトルは編集者のものだろうが、立花自身の了解なしには付けられない。 中身を読むとますます首をひねりたくなる。 安部新内閣の右傾化に警鐘を鳴らす内容であるが、文末の結論は、
『時代は間もなく岸信介のDNAを受け継ぐ者と南原繁のDNAを受け継ぐ者とが本格的に対決しなければならない時代を迎えつつあるような気がする。 南原のDNAを受け継ぐ者とは、一言でいえば、戦後日本国の基本的あり方に高い価値を認める者である。 教育基本法前文にある、「個人の尊厳を重んじ」、「真理と平和を希求する」、「個性ゆたかな文化の創造をめざす」ことが大切だと思う者である。』
、とまるで下手くそなアジテーションである。

【評論家立花隆の歴史観】
  立花隆は実に博覧強記、古今東西の書に通じ、最近はインターネットやロボットや脳の仕組みなど、文系らしからぬ分野にまで守備範囲を広げている。 彼の論説を興味を持って読むようになったのは、1974年11月号の文藝春秋に掲載された「田中角栄−その人脈と金脈」以来である。 この彼の代表作でもあり出世作にもなった記事は一世を風靡し、豊富な情報、冴えわたる分析力、胸のすくような文章力で当時絶大な権力を誇った田中角栄首相を総理の座から引きずり下ろした。 以来彼のファンである。

 しかし最近になって彼の論述に少しずつ違和感を覚えるようになった。 その最たる例はインターネットについて書かれたものだ。 あれほどの博覧強記がインターネットに関しては実に底の浅い知識や見解しか持たない。 社会論的にも技術論的にも、オタクでも相手にしないような単純なインターネット礼賛で、ほとんど評論家の受け売りのように見える。 こういう技術論に関しては文系の限界と見ることも出来るが、最近彼が発表するもろもろの政治社会論の歴史観については看過出来ない。 革新政党が後生大事に唱えた平和憲法死守、非武装中立とでも言わんばかりの単純な論調に閉じこもり、改憲を目差す小泉政権や安部政権を口汚く罵るしか能がない。 日本の未来に対する分析、予測、提案は皆無である。 評論家の命である文章力も分析力も、かって帝王角栄を下野させた時の切れ味はない。 最も気になる点は歴史観の欠如だ。 あれだけ多くの書を網羅し、古今東西の歴史に通じ、知の巨人と言われる人物が、青臭い高校生レベルの歴史観しか持たないことに驚きを感じる。

【南原繁と講和条約】
 南原繁は昭和27年のサンフランシスコ講和条約で日本が占領から独立した当時の東大総長である。 南原を始め当時の知識人達は、吉田内閣が進めるアメリカなど西側自由陣営との単独講和を非難し、ソ連や中国など共産圏も含めた全面講和を唱え対立した。 当時の知識人はマルクス経済を信奉する東大教授等が中心で、東大の先生がそう言うならと多くの国民が全面講和はいいものだと思った。 この国民の心情は8年後の岸信介内閣が進めた安保改正に対する反対運動の下地になった。 かれらリベラル知識人達は革新政党と同じく日本におけるマルクス主義革命を期待していた節が多分にあった。 首相吉田茂は現実を直視しない彼らを“曲学阿世の徒”と呼び、単独講和を貫いた。

 以来54年、今では単独講和が正解で、全面講和は間違いであったことを歴史が証明している。 安保改正も然りである。 マルクス経済もそれが生み出した共産主義も、災いの元でしかなかったことを今は世界中が知っている。 平和憲法死守はともかくとして、南原繁のDNAに戻れとはいったいどういうことか。 立花は今の憲法改定論を間違いなく戦争に突き進ませる暴挙と声高に主張するが、彼は戦後の民主主義教育をどう評価しているのだろうか。 国民を戦前と同じような弱々しい、無知蒙昧の民とでも思っているのだろうか。 未だに南原等が理想と描いたマルクス主義や社会革命に未練があるのだろうか。 その拠り所である共産主義も共産圏もとっくに消え去ったというのに。

 彼がクビにした元秘書が立花隆について暴露本を書いている。 その中で司馬遼太郎と比較し、同じ博覧強記でありながら司馬には司馬史観と言われる歴史観があるが立花にはそれがない。 単なる物知りに過ぎないと痛烈に批判している。 当たらずといえどと遠からずだ。  


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