2006年9月24日: 「若者殺しの時代」を読む。 T.G.

【重厚からポップへ】
 学生時代の寮の先輩から、今月の読書会のテーマ本が堀井憲一郎著「若者殺しの時代」(講談社現代新書)に決まったと連絡をもらう。 メンバーではないが、時々メールで飛び入り参加させてもらっている。 さっそく図書館で借りて読む。 後書きを読むと週刊文春の連載コラムをまとめて単行本にしたものだそうで、週刊誌らしい軽妙な語り口ではあるが、文章も中身も軽い。
 要旨をかいつまめば、「1980年代を境に若者と若者文化が団塊世代の大人達に絡め取られ、若者らしい気迫や反抗心や野心が消え失せ、窒息状態にある。 日本の将来は暗い、出口が見えない」、という実に憂鬱かつシニカルな内容なのだが、そう言う実際的には暗い話しを若者文化の変遷を追いながら軽いタッチで筆を進めていく。 70年代末期にコラムニストになった彼自身の表現によれば、まさに「重厚からポップへ」である。

【若者文化の変質】
 著者が例示する若者文化を列挙すれば、クリスマス、バレンタインデー、ラブホテル、ディズニーランド、マンガ、テレビのトレンディードラマ、携帯電話、等々である。 これらが80年代半ばを境に変質し、若者文化をすっかり変質させてしまったと著者は言う。 重要な傾向の一つが女性の女王様化だ。 80年代以前のクリスマスは家族行事だったが、以降は若い男が女性をナンパして、二人だけで一夜セックスを楽しむ日になった。 83年12月の女性雑誌「アンアン」は「クリスマス特集、今夜こそ彼のハートを捕まえる。 クリスマスの翌朝はルームサービスで」をトップ記事にした。 以降クリスマスイブの東京のシティーホテルは満室になる。 若い男は恋人とのこの日のセックスを安いラブホテルで手軽に済ませるわけにはいかなくなる。

 著者によればラブホテルも80年代を境に様変わりで、それまでは回転ベッドやぎんぎらぎんの満艦飾が売りだったが、今は何の飾りもないシティーホテル並みが普通だそうだ。 理由はぎらぎら回転ベッドは男の好みで、女性は静かで落ち着いた部屋でのセックスの方を好む。 それに合わせないと客も入らないし恋人も出来ないということらしい。 本来は子供向けの遊園地であるディズニーランドが大流行なのは、若い娘が行きたがり、本来遊園地など興味がない若い男がそれに合わさせざるを得なくなったから。 バレンタインデーは若い女性が一方的に自分好みの男を指名する行事で、男達はじっと待っているしか能がない。 もてる男は一方的にもて、そうでない男にはいつまでたっても女に相手にされない。 今で言う格差社会である。 最近の男女の未婚率が高いのはこれが原因かもしれない。

【若者文化における収奪】
 著者はこういった若者文化は若者自身が創ったものでなく、団塊世代の大人達がめざとく見つけて金儲けシステムに仕立て上げたものだという。 今ではクリスマスもディズニーランドもバレンタインデーも携帯電話も、大人が若者から収奪するシステムとして企業化され、売り上げが景気の指標にさえなっている。 女王様になったつもりの女達も“賭場の掛け金を釣り上げすぎた”ために、回り回って性商品のオープン化というしっぺ返しをくっている。 金のない、もてない若い男は割を食い、援助交際のような素人女性のオープン化された性商品を金持ちの大人が買う。 こういった若者風俗の変遷を著者は次のように言う。

『80年代、僕たちは先を急ぎ、いろいろなものを放り出した。 エンジンが壊れて墜落しそうな飛行機に乗り合わせたように、回りにある面倒なものを次々に放り出し、貧しい生活を放り出し、革命について語る夜を放り出し、静かなクリスマスを放り出し、回転ベッドが巻き起こす性欲を放り出してしまった。 やがて大人達がやってきて、商売になる部分だけを集めて再生し、後は始末してくれた。 いろいろなものが簡単に手に入る社会になったが、何かを失ったような気がした。しかしそれが何かはよく分からない』

【若者の無気力化】
 こういう著者の解説はいちいち納得がいく。 最近の若い人達は何事にも攻撃的でなく受け身である。 大人の作った世界に安住して、はみ出ようとはしない。 昔の若者は大人や社会に対する反発をエネルギーにして生きていた。 それが社会の進歩の原動力にもなった。今は大人の悪口を言いながらのうのうと大人の手のひらの中にいる。 孫悟空はお釈迦様の手のひらの中で暴れ回ったが、今の若者はしたり顔で文句を言うだけで何もしない。 文句を言うならまだしも、黙りこくって何も言わない若者も多い。 かっては若者につきもの無謀や行き過ぎが社会問題だったが、昨今は無気力な引きこもりやニートが大きな社会問題になる。 これはまさしく日本社会のポテンシャルの低下ではないか。 この他力本願の無気力な若者達が大人になった頃、日本はどうなるのだろう、と考えてしまうが、この著者は言い放しで肝心のその先を示さない。 まさに「重厚からポップ」の軽さだ。
 

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