2006年9月22日: 国旗、国歌に関する東京地裁判決を聞いて。 T.G.

【地裁判決の根拠】
 昨日出された国旗、国歌に関する東京地裁の判決には驚いた。 難波裁判長が「日の丸、君が代は第2次大戦終了まで皇国思想や軍国主義思想の精神的 支柱で、現在も宗教的、政治的にその価値が中立的なものと認められるまでには至っていない。 信仰に準じた世界観、主義、主張から国旗掲揚や国歌斉唱に反対する人は少なからずいる」ことを根拠として、卒業式での国旗、国歌強制が原告教師達に“精神的苦痛を与えた”と断じている点である。

【国家国旗の意味】
 国旗も国歌もあくまで国家運営上必要な便宜的システムである。 どこの国にもある。 絶対的価値観にもとづくものではないから、主義主張や好き嫌いは個人の勝手である。 掲揚したくなければしなくても良いし、歌いたくなければ歌わなくても構わない。
 しかし裁判所と言う国家の権威が、歴史や宗教まで持ち出して否定するとなると話しは別である。 ある意味で国家システムの否定だからだ。 三権分立といえども裁判所はあくまで国家システムの一部である。 自分で自分を否定してどうなる。
 「日の丸、君が代が皇国思想や軍国主義思想の精神的 支柱であった」と言うがそれは言い過ぎだろう。 裁判長の主観、独断の域を出ない。 国家が起こした戦争だから、その最中にいろいろな場面で国旗も国歌も使われた。 卒業式やオリンピックと同じで、別に皇国思想の精神的支柱などではなかった。 思いこみも甚だしい。 嘘だと思うなら80歳以上のお年寄りに聞いて見るがいい。 当時ほとんどの人がそんな風には思っていなかったと言うはずだ。
 だいたい皇国などと言う神懸かり思想を当時の大多数の平均的国民が持ち得ていたわけではない。 そもそもある国家が宗教的、政治的に中立などと言うことはあり得ない。 日本には未だに共産革命を党是にしている政党も宗教を党是としてる政党も議席を持っている。 イスラムや西欧諸国を見てもわかる通り、宗教的に中立な国家など存在しない。 国が宗教に中立というのは、幻想とは言わないまでもあくまでも建前である。 建前を本気にする日本の裁判官はナイーブというか世間知らずに過ぎる。 戦後司法教育の失敗か。

【公教育の中立性】
 訴えた原告の教職員もおかしい。 そもそも彼らは「国旗、国歌が皇国思想や軍国主義の精神的支柱だった」と言うが、その時代を実体験してるわけではない。 あくまで学校で彼らの先生に教えられた後知恵、いわば知ったかぶりである。 高校生の頃世界史の先生に、「君たちがナポレオンを実在人物と思っているのは、私が授業でそう教えたからに過ぎない」、と言われたことを今でも憶えている。 それと同じである。 教師に教えられた程度の後知恵が“国旗国歌強制による精神的苦痛”など引き起こすわけがない。 思想的に反対というなら分かるが、精神的苦痛というのは言いがかりである。 記者会見で原告の女性教師が「思っても見なかった判決」と口を滑らせたのは、本人達もそう思っていたからだろう。 言いがかりが通ってしまったとつい本音を吐いたわけだ。 よしんば主義主張というなら、国家にもまして思想、宗教に中立であるべき公教育の場で、生徒達に自分の主義主張を見せつけるのは大間違いである。 教職を生業とする以上、国旗国歌を否定したければあくまで学校の外の自分の生活の場で済ませるべきだ。 都の通達はそれまで禁じているわけではない。 この先生達にも再教育の必要がありそうだが、もう手遅れだろうな。

 こういうおかしな判決を聞かされると、大袈裟でなく日本の将来が不安になる。国家が制度疲労を起こしているのかと。  

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