【伝蔵荘日誌】

2006年4月23日:  竹島問題について思うこと T.G.

 先週頃から竹島問題がかまびすしい。 日本の調査船2隻に対し韓国側は機関砲まで搭載した軍艦20隻を対峙させ、一触即発の雰囲気である。 どうなることかと見ていたら、ソウルに平和日本の外務次官が訪れてとりあえずはお互い何もしないという玉虫色の決着を見た。 東京港へ帰還する調査船をテレビで映していたが、まあ何とものどかな領土紛争である。

 領土紛争というものはいつの時代も砲艦外交の最前線である。 他の地域なら今頃ミサイルや砲弾が飛び交っているところだ。 つい20年前、フォークランドという南大西洋の小島で起こったイギリス、アルゼンチンの領土紛争は、鉄の宰相マーガレットサッチャーが空母を含む大艦隊を送り込み、猛攻撃で有無を言わさずアルゼンチンから奪回した。 イスラエルとパレスチナの領土紛争は過去数十年、血で血を洗う戦いの繰り返しで、いつ終わるとも知れない。 カシミール地方の国境紛争はインド、パキスタン両国が核武装するところまでエスカレートしている。 それに比べると日韓両国の竹島の領有問題はまるで子供の戦争ごっこである。

 いったい韓国の為政者達は何が目的で、どういう成算があっていつまでもこのような無理筋の主張を続けるのだろう。 もし本当にこの小島が歴史的に韓国の領土だったと確信があるなら、日本が主張するように国際司法裁判所で決着をつければ済むことだ。 それをしないのはさすがの韓国も自信がないからだろう。

 1951年7月19日、韓国大使ユーチャン・ヤン博士がワシントンでジョージ・フォレスター・ダレスを訪問し、当時進んでいた対日平和条約の内容について国務長官宛の公文書を手渡している。 その中でドク島、つまり竹島の韓国領有権について条約に明記してくれるよう要請している。 興味を引くのはダレスが対馬についの言及が無いことを指摘すると、それは除外すると言っていることである。 数日後、
アメリカは国務長官名で次のような正式回答をヤン大使に行っている。

 「…(中略)合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する、日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を、条約がとるべきだとは思いません。 ドク島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。 この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。…(後略)」

 過去数百年にわたり周囲の大国に翻弄されてきた韓国国民の鬱屈した気持ちは分からぬでもないが、このような単純な反日騒動で国民を慰撫し煽り立てる韓国政府のやり方は愚策に過ぎる。 前述のアメリカの認識は別としても、どう考えても韓国に理がない話である。 もし最終的に国際法廷の場に出て敗訴した場合、韓国国民の落胆、自信と気力喪失は国にとって計り知れない打撃となるだろう。 下手をすると国が潰れかけない。 すぐ北に虎視眈々とそのときを待っている将軍様もいることだし。 盧武鉉大統領など韓国の指導者達はそういうリスクを考えないのだろうか。 肝心なところでのこういうその場しのぎが、歴史的に見てこの国の一大欠陥ではあるのだが。

 しかし日本も安閑とはしておれない。 もう一つの領土紛争、尖閣諸島の相手は韓国のような甘チャンではない。 否が応でもいずれ砲艦外交の出番が来るだろう。 日本はその覚悟はあるのだろうか。

目次に戻る