【伝蔵荘日誌】

2006年2月23日: 校長先生との懇談会  T.G.

 近くの小学校で地域の民生委員と自治会役員が校長先生と懇談する会というのに出席した。  昔息子がお世話になった小学校だが、校門をくぐるのは20年ぶりである。  2時間ほどの行事で、校長先生の挨拶に始まり、ちょうど昼食時だったので最後に学校給食をご馳走になってお開きとなった。 近頃の給食はなかなか美味しい。 我々の頃とは様変わりである。

 最初の段取りが終わって懇談に入ったとき、ある地区の自治会長が校長にクレームを付けた。 「近所の中学が荒れていてしばしば騒動を起こすが、そのほとんどがあなたの小学校の卒業生だ。 いったいどういう教育をしているのだ」とえらい剣幕である。 その中学校には主に地域の二つの小学校から進学する。 詰め寄られて校長先生と教頭先生が汗をかきかき弁明に努める。 聞いているうちに気の毒になってきた。

 校長先生の弁明の中に次のような話が出てきた。 近くを流れる川の橋の下に住み着いているホームレスに、小学生が石をぶつけていると小学校に電話が入った。 匿名の電話の主は、どういう教育をしているのだとこの学校の教育方針を強い調子でなじったという。 慌てて先生方が現場に駆けつけたところ、小学生数人が自転車の荷台に石をたくさん積み込みぶつけている最中だったという。 いわば組織的、かつ計画的な犯行である。 小学生とは言え近頃の子供は実に悪質である。 駆けつけた先生方が子供達を制止し、その場で教育的指導をしたという。 我々も一所懸命やっておりますという教頭と校長先生の苦しい弁明である。

 この話を聞きながら少々腹が立ってきた。 くだんの電話の主は学校に電話する前になぜ自らその場で子供達を制止し、叱らなかったのか。 学校へのクレームは、少なくともそれろ済ませた後の話だろう。 そもそも子供の悪事をすべて学校のせいにする発想が間違っている。 弱いものイジメをしてはいけないなどという初歩的倫理教育は、本来学校の問題ではなく家庭と周囲の大人のなすべきことではないか。 その場で石を投げた子供を叱り、その子の親にどういう子育てをしたのかと文句を言うのなら分かるが、何もせずにただちに学校へ電話する神経が理解できない。 それが最近の社会風潮だとすると嘆かわしい限りであるが、そう言ういおかしな空気に振り回されておどおどしている学校も変である。 我々もただちに現場に駆けつけるが、あなたも傍観していないで子供達を制止してくれぐらいの啖呵を電話口で言うべきである。 かまびすしい学校教育批判に晒されているうちに、教育者としての気概も失ってしまったのか。

 学校は基本的に勉強を教えるところである。 そのついでに集団生活や社会生活に必要な倫理観、価値観が身に付くという付加価値もある。 その比率は大目に見てもせいぜい8対2程度であろう。 嘘をついてはいけない、盗んではいけない、弱いものイジメをするな、などと言う基本的な倫理教育は学校教育ではなく子育ての範疇に入ることだ。 そんなことまで学校に委ねていたら親のすることが無くなるし、第一勉強が疎かになって肝心の子供の学力が低下するだろう。

 最近の学校教育には多々問題があるが、それ以上に劣化しているのは社会と大人達の覚悟、価値観の方ではないか。 こんな愚かな社会を放置していたら、国民の民度がますます低下し、かって中国国家主席の江沢民に嘲られたように、50年後、日本は地球上から無くなっているかも知れない。   

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