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【カラパタール初体験記:その2−ディンボチェまで】

 14日、パクディンを出発ナムチェへ。  途中モンジョのゲートで国立公園入園料を支払う。一人当たり1,1000ルピー。これも2年前と同じである。昨年エヴェレストなどへの登山料が改正された。6人パーティならUS$66,000。途中アムダブラムに取り付いているパーティを見かけたが、あの山はUS$2,000と、標高により金額に大差がついている。ナムチェに登る途中、エヴェレストが初めて見える場所が2ヶ所あるが、いずれも雲がかかり見えず。2年前は初めてのエヴェレストで、興奮して写真を撮ったものだが。

 懐かしのナムチェバザールに着く。ラクパ氏の家のリビングでティータイムしているうちに冷たい雨が降り出し、その後霙に変わる。ラクパ氏もこの時期に珍しいと驚いていた。乾期のヒマラヤで雨とはまた初体験。…4号。【写真は背後の丘の上から見下ろしたナムチェ・バザール全景】

 「乾期のヒマラヤでは雪は降っても雨は降らない」と信じていた私と後藤君は雨具を持参しなかった。ナムチェの有名なチベット市場(バザール)に買い物に行く。日本では25,000円はするノースフェースのゴアテックスのレインパーカーがなんと2、500円。規格はずれなのか横流し品なのか、はたまたインチキの模造品なのか不明だが、あまりの安さに飛びつき、直ちに購入。ただしLサイズのみ。後藤君はナムチェバザ−ルの登山用品店で同じくゴアテックスのオーバーズボンを買う。これまた安く、たったの500ルピー。日本円にして約千円である。

 翌15日は高所順応のための停滞日。2年前と同じように高所順応を兼ねて3880mのエヴェレスト・ビューホテルへコーヒーを飲みに行く。前夜のラクパ氏の予想通り快晴に恵まれて、エヴェレスト、ローツェ、アムダブラムがくっきりと見える。テラスでコーヒータイム。この絶景のテラスでのコーヒー代、シェルパを入れて8人分で675ルピー。 2年前と同じ円換算で1000円は安い。松木君の高校の先輩、エヴェレスト・ビューホテル社長の宮原さんは不在。通常はカトマンズ滞在らしく残念ながら会えず。宮原さんのサイン入りの本「還暦のエヴェレスト」は松木君が伝蔵荘に寄贈している。【写真はエベレストビューホテルから見たエベレスト、ローツェ、アマダブラム】

 16日。次のテントサイト、3840mのタンボチェまで、2年前と同じルートを辿る。ここでも高所順応の為に翌1日停滞。体を慣らすため裏手の山に登る。10:40、カンテガ(6685m)直下、4198mの小さいピークに到達。空気が薄く、息絶え絶えである。

 タンボチェ1日目の夜、湯たんぽ代わりにしていたポリタンク・プラティパスが破裂。気圧が低いためか、3年間のヒマラヤ使用で劣化したからか。たった3年で破損とは。ほぼ全員同じプラティパスを使用しているのに自分のだけが壊れた。シュラーフからインナー毛布、絹インナーまで水浸しである。下半身びしょ濡れで一晩中寝られず。翌日が停滞日なのでで助かった。初体験5号。(テント同室の後藤注:これが以下の佐藤ヒマラヤ初体験の引き金になったか?)

 18日。この日以降は全員初めてのルートとなる。 せっかく登ったタンボチェからイムジャ・コーラの谷底まで、シャクナゲの樹林帯を約300m下る。途中パンボチェを経由して4300mのディンボチェへ。寒い。ここでも高所順応のため1日停滞。

 翌19日、停滞日。ヒマラヤでもっとも美しいヒマラヤ襞が見られるというイムジャ・コーラの奥部へ空身で散歩に出かける。空身と言っても標高4000mを超す高度。空気が薄くてやや辛い。この日から風邪がひどくなる。誰の風邪をうつされたのか。途中ビブレで休み、皆がチュクンまで往復するのを待つ。後藤君が私に付き合い残る。【写真はディンボチェからイムジャ・コーラとローツェ】

【その3へ続く】