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【カラパタール初体験記:その1−トレッキング開始】

 3期松木、後藤、佐藤、4期及川、5期渋川、朝倉の6人で今年もヒマラヤへ。
 これでヒマラヤは3年連続となる。今回の最終目的地は標高5541mのカラパタール。エベレスト展望台として有名な場所。ヒマラヤ行きのメンバーは最初の年は4人だったが、毎年一人ずつ増えて今年は6名に増えた。いわゆる三馬鹿プラスワン&プラスツーの計6名である。三馬鹿とはアメリカのどたばた喜劇映画、「三馬鹿大将」に出てくるラリー、カーリー、モーのこと。現在75周年記念のVTRがアメリカで売り出されている。還暦を過ぎても馬鹿な事を続けている松木、後藤、佐藤の3期3名に付けられたあだ名である。プラスワンはこの馬鹿に付き合う1年下の及川君、プラスツーは更に1年下の渋川、朝倉の両君を指す。(写真はエベレストビューホテルのテラスからエベレスト遠望)

 今回のルートは渋川、朝倉両君は始めてである。ただし渋川君は昨年のアンナプルナBCトレッキングにも参加しているので、朝倉君のみがヒマラヤ初体験である。彼が一番若く、筋肉もりもり。アルパインツアーのベテラン岡本さんに言わせると、こういうタイプが酸素消費量が多いので一番高山病に罹りやすいとのこと。高山病でげんなりした朝倉君を見てみたかったが、結果はこの若い二人はロートル4人に較べて最後までピンピンしており、このままエヴェレストまでも登れそうな雰囲気であった。アンナプルナに引き続き今回も渋川君が食事を担当してくれて、味にうるさい後藤君の舌も満足させてくれた。彼は食品会社の技術屋さんで、食に関係する仕事柄、素晴らしい副食を考案、調達してくれた。以下は我ら超高年組のヒマラヤ初体験記である。

 10月12日、まずは出発地成田空港での出来事。
 我々6人の中で海外出張の回数がダントツを誇る後藤君。多分訪れていない国はアフリカ大陸マリ王国の都市トンブクトゥーくらいだろう。手荷物検査でザックの中から登山ナイフが見つかり直ちに没収。透明なプラスチックの箱に収納され、恥ずかしながら以後機内持ち込み禁止品サンプルとして展示されることになった。これは彼がハンブルク出張の際購入したゾリンゲンのアーミーナイフ。日本で購入したら軽く10,000円は超える高級品である。前夜トランクからうっかり機内持ち込み用手荷物に移したのをすっかり忘れていたらしい。彼にとっても初体験だが、我々の初体験でもある。 …これ初体験1号。(写真はバクディン手前の休憩所。2年前にもここで休んだ。)

 香港でロイヤルネパール航空に乗り継ぎカトマンズへ。
 空港では一足先に着いていた朝倉君とヒマラヤンジャーニーのソーミーさんが出迎えてくれた。すでに乾期に入ったというのに滑走路は雨で濡れている。朝倉君はカトマンズ空港が悪天候で降りられずインドまで往復して来たとのこと。カトマンズで雨もまた初体験。…これ初体験2号。
 夕食は機内食で間に合わせてホテルでは夕食なし。翌早朝の出発に備えベッドに潜り込む。朝倉君の夕食忘れていて、彼は一人寂しくホテルで食べたと翌朝聞く。ごめん。

 13日、カトマンズ7:00発ルクラ行きの国内線に乗るため、ホテルが用意した朝食の弁当(内容はリンゴ、えたいの知れないジュース、菓子パン、茹で卵2個)持参で日の出前の暗いうちにホテルを出発。空港は濃い霧に包まれている。有視界飛行のルクラ便が飛べるのか心配になる。アナウンスもない待合室で2時間待たされやっと出発。ルクラ着は予定より2時間半の遅れ。カトマンズ空港が霧で飛べない。これ初体験3号。

 ルクラ空港には懐かしいサーダーのラクパ・シェルパが出迎えてくれた。2年前のトレッキングの際サポートしてくれたシェルパである。素晴らしいシェルパだったので今回も特に指名してアテンドを依頼していた。同行のシェルパ、コックは2年前の顔ぶれとは違っていた。大体いつも同じメンバーでパーティを構成するらしいが、前回のサブシェルパのチェジム、コックのラムソンは同じ時期に別の予約が重なった模様。この二人ともナムチェに行く途中で偶然出会った。「また会いましたね」と握手して分かれた。(写真はルクラ空港上のロッジ。トレッキングが終わった後の別れの記念写真。)

 今回のサブシェルパは若いジェッターとハルカライズ。コックはヌル。ゾッキョドライバーはチベット人のリンズイ。総勢8名とゾッキョ7頭である。アンナプルナと違い荷物はほとんどゾッキョが運ぶのでポーターはいない。ルクラは2年前と異なり軍隊の厳しい監視の下に置かれていて、ぴりぴりした雰囲気であった。しかしナムチェまでのトレッキングルートは前と何も変わらず、休憩場所も昼食の場所も同じ。妙に懐かし気分になる。

【その2に続く】