エベレスト街道トレッキング

【エベレスト街道:その3 ナムチェバザール滞在】


 10月27日。 ナムチェの朝。 目を覚ましてテントを出る。 気温零下、霜が下り、水が凍っている。
 夜中大きな射撃音が谷に響きわたって目が覚めた。 丘の上に軍の監視所があって、マオイストを警戒しているのだという。 危ないから夜間ライトを点けてはいけないと、寝る前にラクパから注意を受けた。
 南西方向、ボーテ・コシの対岸にコンデリ(6187m)連峰が屏風のようにそびえている。 あまり高くはないが、ナムチェのシンボル的な山である。 村より先に稜線に朝日が射し始めた。

 今日は高度順応を兼ねた停滞日。 ラクパの案内で少し離れたところにあるエベレストビュー・ホテルまで散策に出る。 北方へ300mほど登ったところからナムチェ村を見下ろす。 ボーテ・コシに向かって南側が欠けたコップ状の地形であることがよく分かる。 こんな山奥の村にも人のなりわいがある。

 道が尾根を越えると、前方にいきなりタウツェ・ピーク(6542m)、エベレスト、ローツェ、アマダブラム(6356m)など有名な山々が眼前に飛び込んでくる。 よほど風が強いのかローツェの頂上に雪煙が上がっている。 目的地のタンボチェに続く道が尾根を巻いて水平に続いている。 絶景と言うほか無い。

 アマダブラム(6814m)。 エベレスト山塊の入り口に位置する名峰で、形がいいことから絶好の被写体である。 誰がどう撮っても良い写真になる。 傾斜がきつく難度が高そうに見えるが、そう難しい山ではないとラクパは言う。 ちなみに彼はエベレストはもちろん、サウスコルまで何回も登ったベテランシェルパ。 エベレストの頂上直下では青氷に埋まった遭難死体を見たという。 ラクパの言によれば、エベレストにはそう言う遺体が何体も転がっているが、下ろすとなにかと面倒が起きるので、遺族も誰も下ろすと言い出さないらしい。 ラクパ自身は奥さんが心配するので、今は高所シェルパはやめて、我々のようなトレッカー相手のガイドをしている。

 エベレストビュー・ホテルのテラスでコーヒーを飲む。 真正面はタウチェピーク(6367m)。 その右奧がエベレストとローツェ。 まさに絶景。 格好のエベレスト展望台である。 この絶景を見ながら飲む400円のコーヒーは安い。 日本人が経営するちゃんとしたホテルで、宿泊料も2、3万円するらしい。 ホテルのすぐ近くにヘリか小型のセスナ機なら下りられる滑走路があって、金持ちは歩かずにエベレストを見に来られる。 その代わり高所順応をする暇はないから、高山病は避けられない。

雪煙を上げるローツェ(8414m)とその左肩にエベレストの頂上。右奧はローツェシャール(8393m)とピーク38(7591m)。まさにヒマラヤの核心部。世界に14座しかない8000m峰が3つもある。
ドウドゥ・コシの谷が左に曲がり込みその先はベースキャンプのあるロブチェからカラパタールに続いている。

 その手前、尾根の上に今回の最終目的地タンボチェが見える。 ドウドゥ・コシの対岸、ここより100メートルほど高いが、周囲の山が高すぎてかえって低く見える。 さほどの距離はないが、一端谷底に下り600m登り返さなければならないので結構きつい。 集落はないが、チベット仏教の大きな寺院が建っている。 一種の宗教聖地である。

 ホテルからナムチェへ帰る途中で記念撮影。 ラクパにシャッターを押してもらう。 メインは山、人物は背景と指示したら、意図を察して実にうまく撮ってくれた。 ピッタリの構図である。

 日当たりのよいテントサイト。 後方の山はタムセルク(6818m)。
 後ろはラクパの家で、テントは前庭のゾッキョの放牧場に張られている。 至る所ゾッキョの糞だらけ。 乾燥してほこりになって舞い上がる。 最初のうちは閉口したが、すぐ気にならなくなる。 これを苦にしていたらエベレスト街道は歩けない。 街道中至る所ゾッキョの糞と土ぼこり。 ヨーロッパの若い女性はタオルで口を押さえて歩いていたが、ただでさえ空気が薄いからしんどいだろう。

【続く】