【エベレスト街道:その2 ナムチェバザールまで】
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10月26日。 パクディンを出てドウドゥ・コシを5kmほど遡ったところにサガルマータ国立公園のゲートがある。 入園料は千ルピー。 この国立公園はチベット国境まで広がり、エベレストやローツェ、マカルーなど有名峰を数々含む広大な地域。 千ルピーは安い。 現地の連中には高額だが、日本や欧米のトレッカーには屁でもない金額である。 2、3万ルピー取って環境保護に廻したらどうかとラクパに言ったら笑っていた。
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ジョサレの吊り橋。 ナムチェへの登り口でドウドゥ・コシと分かれるまでに、こういう吊り橋を10回ほど渡る。 現在は鋼鉄製のワイヤとコンクリートの土台で出来たしっかりしたものだが、一昔前までは洪水でしばしば流され、渡渉は命がけだったとラクパは言う。 特に数年前に温暖化で上流の氷河湖が決壊したときは、ほとんどの橋が壊されたという。 風にひるがえっているのはおなじみのタルチョ。 至る所にある。
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チベット国境から流れてくるボーテ・コシとドウドゥ・コシの合流点にあるラーニャの吊り橋で対岸にわたり、ナムチェバザールまでの600mの急登がはじまる。 途中の休憩場所で谷奧に初めてエベレストが見える。
誰しもここで休憩し、写真を撮り、生理的要求を満たすらし。 いい構図を探して下を見ずに藪に入ったら、踏んづけてしまった。
この街道は人通りが激しいのに身を隠すところが少ない。 自ずと集中するらしい。
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登り終えてナムチェバザールの入り口に着く。 標高3600m。ヒマラヤでいちばん有名なシェルパ族の村である。 ラクパに聞くと、ナムチェだけで700人のシェルパ族が住んでおり、クムジュンなど周辺の集落を併せるともう少し多い人口と言うことである。 トレッカー向けのロッジがたくさん建っており、シーズン中は観光客の方が多いのではないか。
村の入り口に水道の蛇口が付いた水場がある。 下の谷からポンプで汲み上げる水道システムだという。 水力発電設備と合わせて日本のODAで作られたという。 評判のよくないODAも、こういうことに使うなら腹が立たない。
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ナムチェバザールはドウドゥ・コシとボーテ・コシに挟まれた標高3600mのコップ状の台地の上にある。 登山者やトレッカーが落とす観光収入で、ヒマラヤ一の裕福な村である。 ヒマラヤには珍しく水道も電気も電話もある。 電話は衛星経由で料金はかなり高いらしい。 写真に見えるちょっとした建物は、すべてトレッカー用のロッジ。 ここだけで数百人は泊まれるだろう。 目抜き通りには土産物屋が建ち並び、ピザハウスやベーカリー、果てはインターネットカフェまである。 一大観光地である。
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村の通りを占拠したチベット商人の露店。 彼らはボーテ・コシの上流5000mの峠を越え、チベットから1週間かけてやってくる。 ヤクに担がせて運んできた種々の商品はすべて粗末な中国製。 彼らはパスポートも持たない違法入国者だが、ネパール政府もあの中国も黙認している。 彼らには国境が意味を持たない。 きな臭い中印国境だったらこうはいかないだろう。 彼らチベット族は生まれてから一度も風呂に入らないという。 垢が真っ黒にこびりついている。 写真を撮られるのが嫌いらしく、カメラを向けたらそっぽを向かれた。
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ナムチェバザールの語源になった有名なチベット商人のバザール。 週に一度、土曜日に開かれる。 商品豊富だが、我々が買いたくなるような物はない。 安いとは言え、これだけの商品流通があるのはこの地域の人口が多く、豊かだからだろう。 最近ネパール、中国両政府とも無法越境を取り締まりだしたらしく、このバザールも消える運命にあるらしい。 野暮な話である。
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この日のテントサイトはラクパの実家の前庭。 夕食は彼の家の食堂を使わせてもらった。 食堂と言っても居間と台所と寝室を兼ねた大部屋。 ここで家族全員が食事をし、寝起きする。食器や衣類、寝具など一切合切の家財道具が廻り中に置かれている。 奥さんのほか子供が二人いて、下の子がこの赤ちゃん。 まだ2歳前で喋れない。 上の娘はカトマンズの学校に留学させているという。
ラクパ自身も英語がうまく知識も豊富である。 聞くとルクラのヒラリー・スクールで習ったという。 この辺りではインテリなのだろう。
【その3へ続く】
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