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【チベット紀行−その2 シガツェへ、チベット旅行の特殊性】

第二の都、シガツェへ

 ラサからチベット第二の都市シガツェまではなんとか舗装道路が通じています。ここから先に舗装道路はありません。荒涼としたチベット高原をがたぴしのラフロードが何処までも延々と続いています。チベット奥地のラフロードを走る車は、今にも壊れそうな中国製おんぼろトラックと、時たま見かける粗末な農業用トラクターと、トヨタのランドクルーザーの3種類だけです。ラサやシガツェのような都会では、アウディとかフォルクスワーゲンなどのヨーロッパ製乗用車を見かけましたが、奥地には一切走っていません。ランクルの独壇場です。ヨーロッパや北京製の4WDも見かけません。すぐ壊れて使い物にならないからだとYさんは言います。

 我々のランクルは走行距離26万キロの代物で、計器類は動かず、その上前輪駆動が壊れて使えない、ただの後輪駆動車でした。そのおんぼろランクルが我々を乗せて10日間、道無き荒野を約2千キロ走り抜きました。行き交う車もほとんどがランクルです。時々若いチベット人ドライバーが車を止めてスパナ片手に車の下に潜り込んでいました。チベット奥地には何百キロの間ガソリンスタンドも修理施設もありませんから、自分で直すしかありません。動けなくなったら命取りです。日本車の信頼性の鑑のような、実に大した車です。

 シガツェには、かって小高い丘の上にポタラ宮と同じ様な宮殿がありましたが、侵攻した人民解放軍が砲撃で破壊してしまったとYさんは言います。また文化大革命の折り、チベット中の多くの寺院や仏像や遺跡が紅衛兵の手によって破壊されたそうです。特に敵視するダライラマ関係の遺跡は根こそぎで、破壊の規模はタリバンも遠く及びません。そういった場所を巡るたびに、Yさんがいちいち悔しそうに解説してくれます。
(写真はタルシンボ寺。 チベットの人達の懸命の努力で破壊を免れた仏像や墓跡が残っている)

チベット旅行の特殊性

 チベット人居住地域の3分の1を占めるチベット自治区には、外国人はもとより中国人ですら自由に入境できません。中国ビザとは別に、高い入境料を払って入域許可を得る必要があります。その許可証もラサ行きの航空券も、成都の旅行社を通さないと手に入りません。旅行社を通すと嫌でも自動的に中国人ガイドを押しつけられます。現地のチベット人ガイドとは別にです。定かではありませんが、公安関係の監視役も兼ねているというもっぱらの噂です。

 我々に付けられたガイドは成都の大学を出たばかりの若者で、日本語は下手くそ、チベットは初めての駆け出し社員でした。聞くとチベットのことはよく知らないし、ましてチョモランマBCなど行ったこともないと言います。高山病にでもなられたら手足纏になること必定。しかし断りたくても断れない。とうとう最後まで、何らガイドらしいことをすることなく我々にくっついてきました。きれいな景色に出会うたびに、我々と同じように記念写真など撮っています。何のためのガイドかと、呆れました。

 逆の見方をすれば、そのくらい中国政府はチベット支配に気を使っていると言うことでしょう。監視人なしで、外国人に地域内を自由に旅行などとてもさせられないのです。あらかじめ決められたコースを外れることも許されません。旅行者は決められたコースを辿るしかないのです。実に不自由な旅です。うがった見方をすれば、この特殊な政治区域を中国政府が持て余しているようにすら見えます。帰路に往路と違う別の道路を通るようガイドに要求したら、わざわざ成都に電話して許可をもらっていました。ガイドにはルート変更の権限がないのです。おそらく公安の許可を取ったのでしょう。旅行者の旅程を公安当局がすべて把握、管理しているのです。

 チベットを移動中、たびたび人民解放軍の検問所を通りました。我々旅行者はもちろんのこと、Yさんやドライバーなどチベット人もチェックされます。Yさんが言うには、自治区内に居住するチベット人ですら許可無く自治区内を通行できないのだそうです。許可証がないと高額の罰金と即刻退去です。冒険心の強い欧米人の中には、罰金、強制退去覚悟で無許可入域する旅行者が少なくないと言います。途中、ガイドなしに単独で自転車旅行する欧米の若者をたびたび見かけました。チベットの状況や実情を考えれば勇気の要ることです。しかし、チベット住民すら移動の自由がないチベット解放とはいったい何なのでしょう。(写真はシガールの街外れにある人民解放軍の検問所。 ガイドのYさんが通行許可を取りに行く。 写真を撮るのもはばかられる雰囲気で、車内から一枚)

チベットの道路事情

 シガツェから先、特に400キロ離れたシガールまでは今回の旅の最悪の道路でした。至る所工事中で道が寸断されています。そのたびにラフロードを外れて河原や原野を走ります。砂塵舞い上がる道なき道を車に揺さぶられながら終日走りました。お陰で持病の腎臓結石が一度に剥がれ落ち、その夜から血尿が出始めました。帰国後、激痛とともに大きな石が3個も出ました。

 工事中と言ってもブルドーザーやダンプカーなど、建設機械をほとんど見かけません。シャベルぐらいしか道具を持たない現地労働者の手仕事です。高度の影響か、見るからに非能率な仕事ぶり。中国政府が躍起になってインフラ整備を進めているのでしょうが、この調子では少なくとも後20年ぐらいはかかりそうです。何と言っても交通量がきわめて少ない。日中でも1時間に10台ぐらいしか通りません。運ぶものがないからです。これではとても経済性には合いません。 本当に道路が完成するのか、大いに疑問です。8月の雨期にさらに千キロ奥地のカイラス山まで行った桜君の話では、氷河の融水も重なって河が増水し、日中はランクルですらしばしば走行不可能に陥ったと言います。カイラス山は標高6656m、チベット仏教の聖地で、ここにも大勢のチベット人がお参りに訪れます。もちろん徒歩と五体投地を繰り返しながら、です。

【その3へ続く】